「わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、永遠の命を得、わたしはその人を終わりの日に復活させる。」(ヨハネによる福音書6:54)

 主イエスは、「人の子の肉を食べ、その血を飲まなければ、あなたたちの内に命はない」(ヨハネ653)と言われた。主イエスが御自分のことを「人の子」と言われる場合、御自分の受難と結びつけて用いられることが多い。ここでも正にその通りで、これは、<主イエスの十字架の死を私たちがいただく>ことを言っておられるのだ。私たちの「命」は、キリストの死による以外にあり得ないのである。53節はそのことを否定的表現で述べ、標記の54節は肯定的表現で語られたものである。聖餐式というのは、この事実を表わすものであり、私たちが信仰をもってパンとぶどう酒をいただくとき、聖霊によって、私たちは「永遠の命」に生かされるのである。
 では、「永遠の命」とは、どのような命か。それが続けて語られる。「わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、いつもわたしの内におり、わたしもまたいつもその人の内にいる。生きておられる父がわたしをお遣わしになり、またわたしが父によって生きるように、わたしを食べる者もわたしによって生きる」(56,57)と。ここで、「いつも…おり」「いつも…いる」と訳されている言葉は、通常「とどまる」と訳されることが多く、ぶどうの木の譬えでは、「人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっている」(ヨハネ154)で、「つながっている」と訳されている語である。これらは、主イエスと私たちの間につくられる生命的な関係(相互内在)を表わすもので、それは父なる神とイエス・キリストとの関係と同様だと言われているのだ。なんと身に余る光栄なことであることか。
 聖餐式は毎週の礼拝で行われるわけではないが、御言葉によって主の十字架の御業について聞くとき、「御言葉を食べる」(エレミヤ1516)ということが起こり、主イエスの命が私たちの命となるのである。

米子伝道所主日礼拝説教 要 旨              2008年9月14日 山本 清牧師 

 聖  書:ヨハネによる福音書6:52−59
 説教題:「主を食べて生きる」                
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