「つぶやき合うのはやめなさい。わたしをお遣わしになった父が引き寄せてくださらなければ、だれもわたしのもとへ来ることはできない。わたしはその人を終わりの日に復活させる。」
               
(ヨハネによる福音書6:43,44

 ユダヤ人たちは、主イエスに対して一定の尊敬や期待を抱きつつも、普通の家柄出身の人が、「わたしは天から降って来たパンである」と、御自分を神の子とされたことにひっかかってつぶやいた。つぶやきは不信仰の表われである。私たちはイエスについて行くかどうかを、地上におけるイエスの働き、殊に自分にどれだけ利益があることをなさるかで判断しようとして、イエスとの間に一定の距離を置いている。それに対して主は標記のように言われた。つぶやきからは、主イエスに向かう何の力も生み出されない。父なる神の強い「引き寄せ」があってはじめて、主イエスのもとへ行くことができるのである。
 主イエスはまた、「父から聞いて学んだ者は皆、わたしのもとに来る」(45)とも言われる。ここで「学んだ者」という語は「弟子」という語と同根で、単に知識を吸収した者のことではなく、弟子のように、師と生活を共にしながら、師の生き方に引き寄せられるように従って行く者を言う。歴史の中に生きて働き、語り給う神の御言葉によって引き寄せられるようにして、主イエスもとに行き、新しい生き方をする者のことである。
 続いて「父を見た者は一人もいない。神のもとから来た者だけが父を見たのである」(46)と言われる。「見る」とは「聞く」以上に神と密着した関係を表わす。神を見るほどに密着した人は神の子イエス以外にない。私たちが出来ることは、その主イエスによって神の言葉を聞いて、イエスのもとに引き寄せられて行くことである。それを主イエスは「天から降って来た生きたパン」を「食べる」ことだと表現された(50,51)。そして、このパンを食べる者は、永遠に生きる、即ち、神との良好な関係を保ち続けることが出来、終わりの日には、その命が完成されるのである。

米子伝道所主日礼拝説教 要 旨              2008年9月7日 山本 清牧師 

 聖  書:ヨハネによる福音書6:41−51
 説教題:「天から降って来たパン」                
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