「わたしが命のパンである。わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者は決して渇くことがない。」                     (ヨハネによる福音書 6:35

 主イエスが五千人以上もの人々を満腹させたのを見た群衆は、この出来事を、イエスが自分たちに物質的豊かさや、この世の幸せといった「朽ちる食べ物」を与えて下さる方であることの「しるし」だと思った。しかし、この出来事は、イエスが「朽ちない食べ物」である「天からのパン」をお与えになる方であることの「しるし」であった。だが群衆は、そのことをよく理解しないまま、「主よ、そのパンをいつもわたしたちにください」と言って、更なる「しるし」を求めようとする。それに対して主イエスは、標記のように言われた。これまでは「命のパン」について、<あなたがたが求めるべきもの><神がお与えになるもの>として述べて来られたが、ここに来て「わたしが命のパンである」と一人称で語られ、御自身を人々の前に差し出しておられる。ここで「命」とは、やがて朽ちてしまう肉体の命のことではなく、朽ちない永遠の命(神との良い関係を保って生きる命)のことである。私たちは、神の御心に反する生き方をして、神との関係にほころびが生じている。それを、主イエスは御自身を提供することによって修復して下さるのである。
 だが、こう言って下さる主イエスに、全面的な信頼を捧げることが出来ないでいる私たちの現実があるとすれば、私たちは「父がわたし(イエス)にお与えになる人」(37)ではないのだろうかと心配になる。しかし、主イエスは更に、「わたしをお遣わしになった方の御心とは、わたしに与えてくださった人を一人も失わないで、終りの日には復活させることである」(39)と言って下さる。主は私たちが失われないために、十字架において御自身を差し出して下さったし、今も、礼拝において、神の言葉である御自身を命のパンとしてお与え下さって、私たちのまことの命を養っていて下さるので、神様との関係は揺らぐことがないのである。

米子伝道所主日礼拝説教 要 旨              2008年8月24日 山本 清牧師 

 聖  書:ヨハネによる福音書6:34−40
 説教題:「わたしが命のパン」                
説教リストに戻る