「朽ちる食べ物のためではなく、いつまでもなくならないで、永遠の命に至る食べ物のために働きなさい。これこそ人の子があなたがたに与える食べ物である。」     (ヨハネによる福音書6:27

 主イエスがパン五つと魚二匹で五千人以上もの人々を満腹させられたのを見た群衆は、イエスを自分たちの欲求を満たしてくれる王にしようとしたが、主が彼らを避けて山に退かれたのち、カファルナウムに来ておられるのを見つけると、「いつ、ここにおいでになったのですか」と問うた。その言葉には、なぜ自分たちの期待に応えていただけないのかという腹立たしい気持ちが表れている。それに対して主イエスは、「あなたがたがわたしを捜しているのは、しるしを見たからではなく、パンを食べて満腹したからだ」と、彼らが自分たちの望みを満たすことだけを求めて、パンの奇跡が示す本当の恵みのしるしを見ていないことを指摘された上、標記のように、主は永遠の命に至る朽ちない食べ物を与えようとされていることを述べられた。すると群衆は、「働きなさい」との主の言葉に対して、「神の業を行うためには、何をしたらよいでしょうか」と問い返すが、主は、神がお遣わしになった者、すなわち主イエスを信じることが「神の業」であると述べられる。だが、群衆は主イエスを信じるためには、荒れ野でマンナが与えられた以上のしるしが必要だと、身勝手な要求をする。
 このように、群衆の期待と主が与えようとされていることとの間に大きなズレがあるのだが、私たちもこの群衆と同じように、自分の問題や課題の解決を期待するだけで、主イエスが与えようとされているものを喜んで受け取ろうとしていないのではないか。
 そこで主は、荒れ野で天からのパン(マンナ)を与えたのはモーセではなく、父なる神であり、その神の子である御自分が天から降って来て、世の人々に「朽ちない食べ物」である「神のパン」を与え、永遠の命に至らせて下さることを宣言なさった。この「朽ちない食べ物」こそ、御自身の体そのものである。私たちは、この「神の業」によって、主イエス・キリストを信じる者とされ、永遠の命に生きる者とされるのである。パンの奇跡は、そのことを示す「しるし」だったのだ

米子伝道所主日礼拝説教 要 旨              2008年8月17日 山本 清牧師 

 聖  書:ヨハネによる福音書6:22−33
 説教題:「神の業を行う」                
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