イエスが湖の上を歩いて舟に近づいて来られるのを見て、彼らは恐れた。イエスは言われた。「わたしだ。恐れることはない。」               (ヨハネによる福音書6:19b−20

 主イエスがひとりで山に退かれた(15)ので、弟子たちだけで舟に乗って、向う岸に行こうとした。並行記事によれば、「弟子たちを強いて舟に乗せ、向う岸へ先に行かせた」(マルコ645ほか)とあるので、主の強い御意志であった。というのは、この日、五千人以上の群衆に食べ物を用意するように促された弟子たちが、自分たちの可能性だけを検討して、主イエスが共におられることを忘れていたので、彼らに、主がどのような存在であるのかを認識させるためであった。
 主イエスが不在のまま、暗闇の中を出発した舟は、強い風で荒れる湖上で行き悩んでいた。そのとき、主が湖の上を歩いて舟に近づいて来られた。弟子たちは、荒れる湖にも恐れを覚えていたかもしれないが、それ以上に、主を見て恐れたのである。主が彼らの思いを越えた仕方で現れたからである。――主イエスが私たちに近づかれる時も同様で、主は私たちの予想や期待と全く異なる仕方で来られるので、誰でもすぐには受け入れられず、恐れさえ覚えざるを得ないのである。
 そのような弟子たちに対して、主は、「わたしだ」と言われる。これは、モーセが神の名を問うた時に、神が「わたしはあるという者だ」と答えられた言葉に通じる言い方で、主イエスが神であり、救い主であることを表すものである(ヨハネ425-26参照)。そして、「恐れることはない」という言葉によって、弟子たちは、主を恐れる者から、迎え入れる者に変えられた。イエスが来られたことによって、波風もおさまったであろう。だが、筆者はそのことにはあまり関心がないかのように、「すると間もなく、舟は目指す地に着いた」とだけ記す。主イエスが不在の舟は目指す地に着くことが出来ないが、主イエスを迎え入れた舟は、いかなる逆風の中でも、目指す地に着くことが出来るのだ。古来、この舟は教会を象徴していると受け取られて来た。

米子伝道所主日礼拝説教 要 旨              2008年8月10日 山本 清牧師 

 聖  書:ヨハネによる福音書6:16−21
 説教題:「恐れることはない」                
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