そこで、人々はイエスのなさったしるしを見て、「まさにこの人こそ、世に来られる預言者である」と言った。イエスは、人々が来て、自分を王にするために連れて行こうとしているのを知り、ひとりで山に退かれた。               (ヨハネによる福音書6:14,15

 大勢の群衆が主イエスの後を追って来た。彼らは様々な重荷を抱えて、満たされない思いを持っていたが、主イエスが病人たちになさったしるし(奇跡の業)を見て、この方こそ自分たちの窮状を打開して、色々な意味の飢えを満たして下さるのではないかと、日増しに期待を高めていた。主は、彼らが食事もとらずにいるのを見て、深く憐れまれた(マルコ6:34)。
 主は弟子のフィリポに食べ物の調達方法を問われると、必要とみられる金額を計算して、自分たちの持ち合わせではとても「足りない」と結論づけた。アンデレは群衆の中に大麦のパン五つと魚二匹とを持っている少年を見つけたが、それだけでは「何の役にも立たない」と言った。弟子たちはそこに主イエスがおられることを忘れて、自分たちの可能性だけを考えてしまった。主イエス抜きの勘定は、見当はずれの結論になる。
 そこで主イエス御自身が問題解決に動き出された。主がパンと魚を取って、人々に分け与えると、なんと男だけで五千人(女子供を含めると一万人以上)の人々が満腹した。こうして、主は肉体的空腹のみならず、あらゆる飢えを満たすことの出来るお方であることを示された。
 だが、このような体験をした人々は、旧約の預言者たちが行った類似の事例(民数記11章、列王記4章)を知っていたので、主を預言者と見、更には、王に担ぎ出そうとした。それを知って主は、標記のように山に退かれた。それは、人々の期待と、主が最終的に与えようとされていることとの間にずれが生じ始めていたからである。主が与えようとされていたこととは、「過越祭が近づいていた」(4)、「イエスはパンを取り、・・・人々に分け与えられた」(11)という言葉が示唆しているように、御自分の体を人々にお与えになることによって、霊的な飢えを満たして、真の満腹へと導かれることであった。 

米子伝道所主日礼拝説教 要 旨           2008年7月27日 山本 清牧師 

 聖  書:ヨハネによる福音書6:1−15
 説教題:「真の満腹」                
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