「あなたがたは聖書の中に永遠の命があると考えて、聖書を研究している。ところが、聖書はわたしについて証しをするものだ。」              (ヨハネによる福音書 5:39)

 主イエスは、御自分が神の子であり、神の御意志を受けて、人々を死から命へ移す御業を行っていることを告げられた(5:1930)のだが、ユダヤ人たちは反って反発を強める。そこで、「わたしが自分自身について証しをするなら、その証しは真実ではない。わたしについて証しをなさる方は別におられる」(3132a)と言われて、主イエスが語っておられることには、確かな証しがあることを示された。
 まず、洗礼者ヨハネが、イエスのことを「見よ、世の罪を取り除く神の小羊」と、真理を証ししたことを挙げられた。だが、これは人間の証しにすぎない。そこで、「ヨハネの証しにまさる証し」(36)として、三つ挙げられた。第一は、「わたしが行っている業そのもの」(36)である。肉体的・霊的に「死んだ者」が命へと移される救いの御業そのものが、父なる神が主イエスをお遣わしになったことを証ししている。第二は、父なる神自身が直接的に証しをなさる場合で、例えば、主イエスの受洗の時と山上の変貌の時に、「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者、これに聞け」という声が天からあったことなどを挙げることが出来る。第三は、標記のように、聖書が、人々を罪から救い出すメシアの到来を告げていることの中に、主イエスを証ししているのである。ユダヤ人たちは聖書を熱心に研究し、そこから永遠の命を獲得しようとしていた。だが、それだけでは、聖書に正しく向き合っているとは言えない。聖書によって、私たちを罪から贖い出してくださったキリストの愛の人格に出会ってこそ、聖書と正しく向き合ったと言えるのである。――この三つの証しが、「別におられる」(32)と言われた父なる神の真実の証しなのである。私たちも、この真実の証しに促されて、現代の世の中で、小さな力ながらも、人に向かって真実の証しをするものでありたい。

米子伝道所主日礼拝説教 要 旨           2008年7月20日 山本 清牧師 

 聖  書:ヨハネによる福音書5:31−47
 説教題:「真実の証し」                
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