イエスはお答えになった。「わたしの父は今もなお働いておられる。だから、わたしも働くのだ。」  (ヨハネによる福音書5:17

 エルサレムの神殿で祭の礼拝が行なわれているときに、ベトザタの池の回廊には、池の水が動いたときに真っ先に水に入る者は病気が癒されるという伝説を信じて、多くの病人や体の不自由な人たちが横たわっていた。そこは祭の賑わいから取り残された空間であった。そこに、イエス・キリストがわざわざやって来られ、38年間も病気で苦しんでいる人に、「良くなりたいか」と言われた。主はこの言葉によって、この男の不幸の中に入って行こうとされたのだ。だがこの病人は、主の心を読み取ることが出来ず、「水が動くとき、わたしを池の中に入れてくれる人がいない」と言って、自分の不幸を嘆くのみであった。そこで主イエスは、「起き上がりなさい。床を担いで歩きなさい」と言われた。38年間、自分の体を動かすことさえ不自由であった病人に、思いがけないことを命じられた。するとこの命令が、この人の中に信仰を呼び覚ましたのだろう。彼は疑うこともなく、すぐに、イエスの言葉に従って歩き出したのである。こうしてこの人は神殿へ行って、礼拝に参加する者に変えられた。
 だが、これでこの男の問題がすべて片付いたわけではない。その後、イエスは神殿でこの人と出会って、「あなたは良くなったのだ。もう、罪を犯してはいけない。さもないと、もっと悪いことが起こるかもしれない」と言われた。体は癒されたが、罪を犯す可能性が残されていることを心配してフォローしておられるのである。
 一方イエスが、安息日にしてはならないとされる「床を担いで歩く」ことを命じたことで、ユダヤ人たちが、イエスを迫害しはじめる。それに対して主は、標記のようにお答えになった。主は、病に苦しむ人、罪を犯す人、イエスを理解しない人たちのために、昔も今も働いていて下さるのである。礼拝は、今も主が、御言葉をもって私たちの救いのために働き給う場である。

米子伝道所主日礼拝説教 要 旨           2008年7月6日 山本 清牧師 

 聖  書:ヨハネによる福音書5:1−18
 説教題:「今も働く主」                
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