「わたしは言っておく。目を上げて畑を見るがよい。色づいて刈り入れを待っている。既に、刈り入れる人は報酬を受け、永遠の命に至る実を集めている。こうして、種を蒔く人も刈る人も、共に喜ぶのである。」               (ヨハネによる福音書4:35b−36

 お腹を空かせておられたであろう主イエスのために、弟子たちが食糧を買出しに行って帰って来ると、主は「わたしにはあなたがたが知らない食べ物がある」(32)と言われた。その食べ物とは物質的食糧ではなく、「わたしをお遣わしになった方の御心を行い、その業を成し遂げること」(34)であり、私たちが「霊と真理をもって礼拝する」(24)ようになること、「わたしに与えて下さった人を一人も失わないで、終りの日に復活させること」(6:39)である。つまり、私たち人間が神に背を向けて生きている状態から、神を礼拝して生きる本来の姿に回復させるという御使命こそが、主イエスの霊的な食べ物なのである。
 そのような人間の救いの時を、刈り入れ(霊的な食糧の収穫)に譬えて、標記のように語られた。主イエスが訪れたサマリア地方は、ユダヤ人の目から見れば、救いようのない地域であったが、主イエスの目には色づいて刈り入れを待つ畑なのである。神はイスラエルの歴史の中で、預言者たちを通して救いの種を蒔き続けて来られたが、今や、「別の人が刈り入れる」(37)。「別の人」とは、神の御心を行なって救いの御業を成し遂げられる主イエスであり、「あなたがたが自分では労苦しなかったものを刈り入れるために、わたしはあなたがたを遣わした」(38)と言われるように、主イエスの弟子であり、私たちのことでもある。現に、サマリアでは、主イエスが一人の女に話しかけられたことから、多くの人々がイエスのもとにやって来て(40)イエスの言葉を聞いて信じた(41)が、その後、弟子たちによって伝道が行なわれ、大きな成果が得られることになる(使徒言行録89章)。主はそこまでを見越して、「種を蒔く人も刈る人も、共に喜ぶ」と言われたのだ。現代の霊的食糧危機の中で、私たちのような貧しい者も、刈り入れの喜びへと招かれている。

米子伝道所主日礼拝説教 要 旨             2008年6月15日 山本 清牧師 

 聖  書:ヨハネによる福音書4:31−42
 説教題:「刈り入れを待つ畑」                
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