「まことの礼拝をする者たちが、霊と真理をもって父を礼拝する時が来る。今がその時である。」   (ヨハネによる福音書4:23より)

 心の渇いたサマリアの女に、主イエスの方から「水を飲ませてください」(4:7)と声をかけられ、御自分が「生きた水」を与える者であり、その水は「その人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る」(15)と語られた。では、どのようにしてその水を与えられたのであろうか。
 主はまず、「あなたの夫をここに呼んで来なさい」(16)と言われて、この女の問題点に踏み込まれ、「五人の夫」と次々と分かれねばならなかった彼女の罪に汚れた過去を告白させられた。これが、この女に対する主からの「生きた水」の最初の一杯である。イエスは、彼女を非難されず、むしろ憐れみをもって「あなたは、ありのままを言った」(18)と言って、その正直さを褒められる。すると女は、「主よ、あなたは預言者だとお見受けします」(19)と言う。主は預言者以上の救い主であるが、彼女としては精一杯の表現をもって告白した。こうして彼女は、礼拝のことへと思いが導かれる。だが当時、礼拝場所についてサマリア人とユダヤ人で違った主張をしていたので、そのことに問うと、主は「この山でもエルサレムでもない所で、父を礼拝する時が来る」(21)と言われ、主イエスによってもたらされる新しい礼拝のことを語られる。その礼拝は、それまでの形式的・儀式的な礼拝ではなく、神の前に罪を言い表して、心からの悔い改めと祈りをもって献げる「霊」をもって行われる礼拝であり、イエス・キリストによって顕された神の「真理(正しさ、真実)」をもって行われる礼拝である。しかも、その礼拝が行われるのは、遠い将来ではなく、主と対面している「今」だと言われる。そこから女は、待望のメシア(キリスト)のことに思い至らされる。そして、「それは、あなたと話をしているこのわたしである」(26)と宣言された。このようにして、主は決定的な「生きた水」をこの女に注ぎ込まれ、「まことの礼拝」へと導かれた。すると女は、水がめをそこに置いたまま町に行き、主のことを語り始める。彼女の心の中に泉がわき出したのである。

米子伝道所主日礼拝説教 要 旨              2008年6月8日 山本 清牧師 

 聖  書:ヨハネによる福音書4:16−30
 説教題:「霊と真理の礼拝」                
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