「御父は御子を愛して、その手にすべてをゆだねられた。御子を信じる人は永遠の命を得ているが、御子に従わない者は、命にあずかることがないばかりか、神の怒りがその上にとどまる。」                          (ヨハネによる福音書335-36

 洗礼者ヨハネは、キリストと信者の関係を花婿と花嫁の間柄に譬えた(329)。だが、この花婿は「上から(天から)来られた方」であって、私たちが努力すれば近づけるとか、熱心に探求すれば知り得る方ではなく、「すべてのものの上におられ」、万物を支配なさる神の子である。しかし主は、「天」におられるだけでなく、花嫁を求めて「地」に来て下さった。礼拝は、このような花婿と花嫁の出会いの場である。
 主イエスは「見たこと、聞いたことを証しされる」(32)。高邁な思想や哲学ではない。神の御心をそのままに、「神の真実」が語られる。そこには偽りがない。その約束は確実に実現される。なぜなら、主イエスには「神が“霊”を限りなくお与えになる」(34)からである。無から有を生み出す神の言葉と同じく、主イエスの言葉には力があり命がある。
 標記のように、神は御子を愛して、その手にすべてをゆだねられた。「すべて」とは、万物を支配するだけでなく、人間を愛し、救われることも委ねられたのである。ら、主イエスを信じる以外に救いの道はない。御子を信じる人は永遠の命を得る。永遠の命とは、神とキリストを知ることである(ヨハネ173)。「知る」とは知識として知ることではなく、すべてを委ねてキリストと共に生きることである。だが、「御子に従わない者は、命にあずかることがないばかりか、神の怒りがその上にとどまる。」神に背を向け、反抗する人間の罪は、主イエスを受け入れる以外に、赦されることがないからである。しかし、神の“霊”に満ちた主の御言葉を信じて受け入れる者は、永遠の命に生き始める。花婿であるキリストは私たちを花嫁として迎えて下さる。花婿の愛に応えて花婿のもとに身を投げ出す花嫁でありたい。そして、主と共なる新しい生活を始めよう。

米子伝道所主日礼拝説教 要 旨              2008年5月18日 山本 清牧師 

 聖  書:ヨハネによる福音書3:31−36
 説教題:「天から来られる方」                
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