「花嫁を迎えるのは花婿だ。花婿の介添え人はそばに立って耳を傾け、花婿の声が聞こえると大いに喜ぶ。だから、わたしは喜びで満たされている。」            (ヨハネによる福音書3:29       
 洗礼者ヨハネの弟子たちは、主イエスも洗礼を授けていて、みんながイエスの方へいっているのを知って、妬みと自分の師に対するもどかしさを感じてヨハネに訴えた。ところがヨハネは、「天から与えられなければ、人は何も受けることができない」と、与えられた賜物が違うことを述べ、「自分はあの方の前に遣わされた者だ」と、自分の使命は主イエスを証しすることにこそあると語る。これは私たち信者や教会にも当てはまることであり、私たちの使命は、自分たちの魅力によって人を集めることではなく、あくまでも主イエスを紹介することである。
 ヨハネは更に、自分たちは何を喜ぶべきかについて、標記のように語った。ユダヤの婚礼では、花婿が花嫁を迎えに行って連れて帰って来るのだが、その際、花婿の友人が介添え人として同行する。介添え人は何を喜びとするかと言えば、花婿が花嫁を迎えて喜びの声を上げるのを、家の外か別室で耳を傾けて聞くことである。私たちが何を喜ぶべきかと言えば、自分たちの仲間が増えるとか、自分たちの考えに同調する人が集まるとか、自分を慕ってくれる人が寄って来ることではなくて、主イエスのところに大勢の人が来て、主がお喜びになることを喜ぶのである。どんな人を主が喜ばれるのか、それを決めるのは私たちではなく、主である。
 では、花婿の介添え人は、自分の誉れを抑えて、ひたすら花婿のために労苦して仕えるだけかと言うと、そうではない。「わたしは喜びで満たされている」とヨハネは語る。彼は自分のところに集まる者が少なくなることで、悔しい思いを抱くどころか、主イエスが喜んでおられることに達成感を覚えて、喜びで満たされているのである。私たちはどうすれば、そのような介添え人になることができるのか。それは、聖霊の働きによるのである(Tコリント123-11)。

米子伝道所主日礼拝説教 要 旨              2008年5月11日 山本 清牧師 

 聖  書:ヨハネによる福音書3:22−30
 説教題:「花婿の声を喜ぶ」                
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