わたしは彼の肩に、ダビデの家の鍵を置く。彼が開けば、閉じる者はなく、彼が閉じれば、開く者はないであろう。 (イザヤ書2222

 預言者イザヤは、宮廷を支配していたシェブナが高い所に自分の墓を掘ったことを非難し、その地位を追われるとの審きを告げ、代わって、エルヤキムが支配権を手にし、「ダビデの家の鍵」を握ることになると語る。これは単に権力者の交代を述べているのではなく、アッシリアによるエルサレム包囲を解かれたことで、勝利したかのように有頂天になっているユダの民に対する警告であり、「その日」「わが僕」「ダビデの家の鍵」という言葉から分かるように、来るべき終末的人物メシアの到来を告げるものである。ヨハネ黙示録3:7-8では、ここを引用して、再臨のイエス・キリストのことを述べている。つまり、「ダビデの家の鍵」とは「天の国の鍵」であり、天の国の扉の開閉の鍵を握っているのはイエス・キリストであるということである。 その主イエスを神の子と告白したペトロに、主は「天の国の鍵」を授ける、と言われた(マタイ16:17以下)。それはペトロの信仰の上に建てられた教会に天国の鍵が授けられたことを示す。教会自体が天国に行ける人と行けない人を選別する権限を持っているわけではないが、救いの御言葉はキリストの体なる教会以外では聴くことが出来ないのであるから、天国に通じる扉は教会にしか開かれていない。天国とは、死んでから初めて行く所ではなく、礼拝において御言葉を聴くことによって、普段から出入りする所である。  神はエルヤキムを「確かなところに打ち込み、かなめとする」(22:23)と言われたようにイエス・キリストをこの世に遣わして、救いのかなめとし、教会をそれぞれの地に建てて、救いのかなめとされたのである。しかし、教会も人間の集まりである以上、「かなめは抜け落ちる」ことがあると警告されている。抜け落ちないためには、「持っているもの」(黙示録3:11)即ち御言葉を固く守らなければならない。そのとき、「神の神殿の柱」(黙示録3:12)とされるのだ。

米子伝道所主日礼拝説教 要 旨              2008年5月4日 山本 清牧師 

 聖  書:イザヤ書22:15−25
 説教題:「天国の鍵」                
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