「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」               (ヨハネによる福音書3:16)

 この聖句は「福音中の福音」とか「聖書のミニチュア」と言われるが、この短い句の中に、神の愛の御業と、その目的が凝縮して述べられている。
 「世」とは、聖書では<神に敵対する人間世界>を指し、私たちもどっぷりその中に浸かっている。そこに、「独り子」すなわち、<御自身に等しいかけがえのない御子>をお与えになった。「お与えになる」とは、敵の手に引き渡すことで、神の子の命を、私たちに差し出されたのである。これは神が起された一つの事件であって、決して単なる知識や精神上・理念上の事柄ではなく、まさに血の出るような痛みや苦しみを伴う出来事であった。――神は、それほどの渾身の愛を込めて、私たちに関わっておられるのだ。
 この愛の業の目的は、「一人も滅びないで、永遠の命を得るためである」と言われる。「滅びる」とは、放蕩息子が父親の許からいなくなったように、愛する者の許から失われることである。「永遠の命」とは、その逆に<神の愛のふところに抱かれて生きる>ことである。同じことを17節では「世を裁くためではなく、御子によって世が救われるためである」と言われる。「裁く」とは「区別する」ことであるが、罪深い者にも、区別なく救いの扉は開かれているのである。
 神は、御自分が造られた全人類が救われることを望んでおられる。だからこそ、渾身の愛を込めて独り子を罪深い世にお遣わし下さった。だが、「一人も滅びないで」とか「裁かれない」の前には、「独り子(御子)を信じる者は」という条件がついている。万人が救済されるのではない。御子を信じた者だけが滅びないのである。しかし、御子を信じるならば、たとえ、はじめは光を憎んでいても、行いが悪かっても、赦されて、「一人も滅びない」ばかりか、光のもとで、永遠の命に生かされ、神の国に入れられるのである。    

米子伝道所主日礼拝説教 要 旨            2008年4月20日 山本 清牧師 

 聖  書:ヨハネによる福音書3:16−21
 説教題:「一人も滅びないで」              
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