「この神殿を壊してみよ。三日で建て直してみせる」・・・イエスの言われる神殿とは、御自分の体のことだったのである。                       (ヨハネによる福音書2:19,21

 ヨハネ福音書によれば、主イエスはエルサレムへ少なくとも三度、過越祭の期間中に行かれた。それは、過越祭に神殿で行われる礼拝を改革するためであった。主イエスは神殿の境内で、犠牲に献げる動物が売られ、献金をユダヤ通貨に交換する両替人がいるのを御覧になって、鞭を振るって追い出された。罪人とされた収税人と食事をし、姦淫の女を赦される主イエスが、なぜこのような過激な行動に出られるのか。主は「わたしの父の家を商売の家としてはならない」と言われた。これは、神聖な場所を利益を得る場にするのはいけないという意味もあるが、それだけではなく、罪からの救いという人間の最重要な問題がお金で買った動物を献げるだけで安直に解決され、御自分の「父の家」が人々の偽善と我欲を覆い隠すために利用されている現実を御覧になってお怒りになったのである。主は、私たちの教会の現状を御覧になって、そこに形骸化・義務化し、悔い改めも生き方の改善もない、偽りの礼拝を見抜いておられないだろうか。
 ユダヤ人たちはイエスの行動を批難して、こんなことをするからには、どんなしるし(証拠)をわたしたちに見せるつもりかと迫ったのに対し、主イエスは標記のように答えられた。これは、「御自分の体を壊してみよ」との挑戦の言葉であり、十字架と復活によって、古い神殿の意味がなくなり、キリストの体である新しい神殿に建て直されることを告げられたのだ。
 このあと、「イエス御自身は彼らを信用されなかった(24)との厳しい言葉が記されている。これはユダヤ人たちだけでなく、「すべての人のことを知っておられ」、「何が人間の心の中にあるかをよく知っておられた」からである。主イエスは、私たちも主を裏切る者であることを見抜いて信用されていない。だからと言って、主は私たちを見捨てられたのではない。主は信用できない私たちのために命を捨てて、救い出し、真実の礼拝を建て直そうとしておられるのである。

米子伝道所主日礼拝説教 要 旨            2008年4月6日 山本 清牧師 

 聖  書:ヨハネによる福音書2:13−25
 説教題:「神殿の建て直し」              
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