だから、わたしたちは、イエスが受けられた辱めを担い、宿営の外に出て、そのみもとに赴こうではありませんか。わたしたちはこの地上に永続する都を持っておらず、来るべき都を探し求めているのです。                 (ヘブライ人への手紙1313,14

 ヘブライ人への手紙の最後の部分(13:7以下)は、教会(礼拝)生活についての勧めが語られている。
 まず、いろいろ異なった教えに迷わされることなく、罪と死から自由にされた恵みによって心が強められるようにと勧める。例えば、ユダヤ教では食物の規定にこだわる生活や、動物の犠牲を献げる儀式があったが、キリスト者には十字架という「一つの祭壇」がある。それは、汚れた場所であるとされた「宿営の外」(エルサレム城外)のゴルゴタに立てられた。だから、ユダヤ教と妥協しながら、安全地帯にいるのではなく、主が宿営の外で辱めを受けられたように、迫害をも覚悟して、主イエスの贖いのみに救いを求める信仰へと踏み出すことを勧める。
 私たちにとっての安全地帯での生活とは、自分の幸せや楽しみや誉れを求める生活、この世の価値観や、異教の習慣を捨て切れずに妥協的に生きることであろう。筆者は、そこから出て自我の城を明け渡せと言うのである。地上には「永続する都」はない。求めるべきは、天に備えられている「来るべき都」である。
 では、「来るべき都を探し求める」とは、どのような生活か。それは第一に、「賛美のいけにえ」を献げることである。罪の(なだ)めのいけにえは既にキリストの十字架の祭壇が献げられているので、私たちが献げる必要はない。生き生きとした心からの賛美こそ、神が喜ばれる。第二に善い行いと施しである。主はどの人にも十分なものを備えておられる。しかし、あまり足しにならないように思えることでも、主は「施し(=分かち合い)」をお喜びになるのである。最後に、御言葉を語る指導者の言うことをよく聞き、魂のために心を配っている指導者を嘆かせないようにし、指導者のために祈ることを勧めている。

米子伝道所主日礼拝説教 要 旨            2008年3月30日 山本 清牧師 

 聖  書:ヘブライ人への手紙13:9−25
 説教題:「来るべき都」              
説教リストに戻る