イエスは、この最初のしるしをガリラヤのカナで行って、その栄光を現された。それで、弟子たちはイエスを信じた。                           (ヨハネによる福音書2:11)

 主イエスには、人々に神の国の到来を告げ、罪の中にある人々を救うという大きな役目があった。また、病気の人や孤独な人を訪ねて、癒したり、慰めたりすることにも忙しかった。それらに比べると、婚礼の席に連なることは、どうでもよいことのように思える。だが主イエスは、カナの婚礼の喜びの席に共におられた。主は、私たちの悲しみや苦しみの時だけでなく、喜びの時にも、共にいて、一緒に喜んで下さる。
 それだけではない。主イエスはこの席で、水をぶどう酒に変えるという最初のしるし(奇跡)をなさった。それは、ぶどう酒が足りなくなって困っていた母の期待に応えるためではない。主は初め、「婦人よ、わたしとどんなかかわりがあるのです。わたしの時はまだ来ていません」との、冷淡とも思える言葉をもって、神から与えられた御自分の使命が、人間の罪を負って十字架にお架かりになること、そして、たとえ母親の頼みといえども、神の御心を差し置いて従うわけにはいかないことをお示しになった。
 この主の言葉を受けて、母マリアは全てを主に任せて、「この人が何か言いつけたら、そのとおりにしてください」と召し使いたちに言うと、主イエスは彼らに命じて、水がめに水をいっぱい入れさせ、それを極上のぶどう酒に変えられた。それは、ただマリアや列席の人々を喜ばせるためではない。標記のように、それは、主の「栄光」を現わす「しるし」なのである。「栄光」とは、単に「凄いなあ」と人を驚かすことではない。主イエスが十字架において悪に勝利され、人間の救いを完成され、私たちを新しい人間に生まれ変わらせることによって現わされる栄光のことである。この「しるし」を見て、弟子たちは、主イエスが命の創造者であることを信じたのである。私たちもまた、この出来事によって、命の創造者である主イエスを信じて、天国の宴席に連なる弟子の一人になることへと招かれているのである。   

米子伝道所復活節礼拝説教 要 旨            2008年3月23日 山本 清牧師 

 聖  書:ヨハネによる福音書2:1−12
 説教題:「復活のしるし」              
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