「いちじくの木の下にあなたがいるのを見たと言ったので、信じるのか。もっと偉大なことをあなたは見ることになる。」                        (ヨハネによる福音書1:50

 主イエスと弟子たちとの出会いは、主が弟子たちを見出されることで始まり、弟子たちが、主こそ救い主であることを発見することで成就する。
 主イエスがフィリポに出会われ(見出され)、フィリポは主イエスが旧約聖書に約束された救い主メシアであることを発見した。
 フィリポはそのことをナタナエルに証ししたが、彼は、ナザレから良いものが出ないという固定観念に捉われて、信じない。フィリポは「来て、見なさい」と言って、イエスのところへ連れて行く。そうすると、イエスの方からナタナエルを見て、「まことのイスラエル人だ」と言われ、「わたしは、あなたがフィリポから話しかけられる前に、いちじくの木の下にいるのを見た」と言われる。主イエスはナタナエルに出会われる以前から、彼を見出しておられたのだ。そのことを知って、ナタナエルはイエスが「神の子」であり、「イスラエルの王」であることを発見し、告白する。
 だが、主イエスは更に、ナタナエルに標記のように言われた。「もっと偉大なこと」とは何か。「天が開け、神の天使たちが人の子(イエス)の上に昇り降りするのを、あなたがたは見ることになる」と言われる。これは創世記28章の「ヤコブの夢」の場面を思い起こさせる。だが、これが正夢となったのが、主イエスの十字架の出来事である。主が十字架の上で息を引き取られる瞬間に、神殿の垂れ幕が真ん中から裂けた。それは、主の十字架によって、天と地が結びつけられ、罪人も神の前に出ることが許されるようになった瞬間である。眠りから覚めたヤコブは、「ここは、なんと畏れ多い場所だろう。これはまさしく神の家である。そうだ、ここは天の門だ」(創世記28:17)と言って、そこを「ベテル=神の家」と名付けた。主イエスに見出された者は、自らが神の前(神の家=教会)に立っていることを発見するのである。 

米子伝道所主日礼拝説教 要 旨            2008年3月16日 山本 清牧師 

 聖  書:ヨハネによる福音書1:43−51
 説教題:「もっと偉大なこと」              
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