「見よ、世の罪を取り除く神の小羊だ。・・・わたしはこの方を知らなかった。・・・わたしは、“霊”が鳩のように天から降って、この方の上にとどまるのを見た。・・・わたしはそれを見た。だから、この方こそ神の子であると証ししたのである。」
            (ヨハネによる福音書1:
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 洗礼者ヨハネは主イエスと親類関係にあったので、よく知っていた筈であるし、「わたしの後から来られる方は、わたしより優れている」(15,30)とも言っていた。それにもかかわらず、「わたしはこの方を知らなかった」(31,33)と強調しているのは、主イエスの受洗の時までは、ヨハネは主イエスのことをよく知っているつもりで、その本質を知らなかった、という意味である。主イエスがヨハネから水で洗礼をお受けになった時、ヨハネは聖霊が天から降るのを見、「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」という天からの声を聞いた(マルコ1:11ほか)。その時はじめて、主イエスが「世の罪を取り除く神の小羊」であることが、はっきりと分ったのである。「神の小羊」とは、イスラエルの人々にとっては、人間の犠牲になって、血を流し、命を失う者を意味する。「取り除く」とは、「負う」「かつぐ」という意味を含む。つまり、主イエスこそ、この世の人間の罪を取り除くために、自らが身代わりの犠牲となって命を失う方である、という主イエスの本質を、ヨハネが確信し、それを人に証しすることが出来るようになったのである。そこには、聖霊の働きが、主イエスを通してヨハネの上にも働いているのを見ることが出来る。
 ヨハネはさらに、「わたしは水で洗礼を授けに来た。・・・しかし、その人が、聖霊によって洗礼を授ける」と言う。私たちは、水で洗礼を受けるが、それは聖霊による洗礼の「しるし」である。私たちが洗礼を受けるとき、私たちのうちに聖霊が宿り、ヨハネと同じように、主イエスが「世の罪を取り除く神の小羊」であり、「この方こそ神の子」であることが分って、そのことを証しする者とされるのである。

米子伝道所主日礼拝説教 要 旨            2008年3月2日 山本 清牧師 

 聖  書:ヨハネによる福音書1:29−34
 説教題:「この方こそ神の子」              
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