全く自由に何の妨げもなく、神の国を宣べ伝え、主イエス・キリストについて教え続けた。      (使徒言行録28:31)     

 ローマに到着したパウロがまず招いたのは、ローマ教会の兄弟姉妹ではなくて、同胞のユダヤ人たちであった。パウロは囚人としてローマに来た経緯を説明した中で、「イスラエルが希望していることのために、わたしはこのように鎖でつながれている」(20)と語る。「イスラエルの希望」とは、神の約束の実現であり(266,7)、その中身は復活の希望である(2415)。パウロが囚人としてローマに来たのも、使徒言行録が全体として伝えようとしたことも、このことである。パウロが日を改めて、ユダヤ人たちに一日中かけて、「神の国について力強く証しし、モーセの律法や預言者の書を引用して、イエスについて説得しようとした」(23)のも、これと別のことではない。イエス・キリストによる神の国の支配は、罪にまみれた古い命が死んで、イエス・キリストによってもたらされた新しい命に甦らされることによって始まるからである。
 このパウロの話を聞いて、受け入れた者もいたが、信じようとしない者もいて、結局、イザヤの厳しい言葉を引用して、警告を与えた上で、パウロはここでも異邦人伝道に向かうことになる。これが、神の救いの福音が全ての人に及ぶことになる、神の御計画の道筋だったのである。
 パウロの最後について使徒言行録は何も語らず、ただその後の宣教について標記のように語るのみである。主イエスの命令によってエルサレムから始まった福音宣教の働きが、当時の「地の果て」であるローマにまで達した。だが、神の宣教の歴史はまだ始まったばかりであり、これ以来二千年の教会の歴史が続き、その最前線・地の果てに、私たちの教会がある。使徒言行録とその続編の本当の筆者は神である。福音の宣教には、いつの時代も多くの困難が待ち受けているが、神は昔も今も、聖霊を送って下さり、神の国の福音を「全く自由に何の妨げもなく」語り続けさせて下さるのである。

米子伝道所主日礼拝説教 要 旨            2008年2月17日 山本 清牧師 

 聖  書:使徒言行録28:17−31
 説教題:「神の国を証しする」                
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