「短い時間であろうと長い時間であろうと、王ばかりでなく、今日この話を聞いてくださるすべての方が、私のようになってくださることを神に祈ります。」           (使徒言行録26:29)

 パウロは総督フェストゥスとアグリッパ王の前で、「私は天からの光を見た」と自分の回心のことを述べ、「メシアが苦しみを受け、また、死者の中から最初に復活して、民にも異邦人にも光を語り告げることになる」と証しした(23)
 現実主義者のフェストゥスは、回心や復活の話は荒唐無稽で、これ以上聞くに堪えないと思い、「お前は頭がおかしい。学問のしすぎで、おかしくなったのだ」(24)と言った。救いの出来事は、人間の常識や合理性を越えているが、パウロが「真実で理にかなったことを話している」(25)と言うように、人間の思いを越えたキリストの出来事の中にこそ、神の真実があるのである。
 次にパウロは、ユダヤの宗教事情や旧約聖書に通じているアグリッパ王に向かって、キリストの十字架や復活の出来事はユダヤ人の間ではよく知られていることを述べた後、「預言者たちを信じておられますか」と問いただす。キリストの出来事は、正に預言者たちによって語られた約束の成就であるからだ。アグリッパはユダヤ人として「預言者を信じていない」とは言えず、「信じる」と言えば、キリストの出来事を受け入れざるを得なくなる、というジレンマに陥って、苦し紛れに「短い時間でわたしを説き伏せて、キリスト信者にしてしまうつもりか」(28)と言って逃げようとする。私たちは誰でも、自分の罪の問題を真面目に考えるならば、十字架と復活の出来事と向き合わねばならない。だが、これを受け入れると、これまでの生活を変えなければならなくなるので、「まだ、教会に来て日が浅いから」とか「聖書を不勉強だから」などと言って逃げてしまう。
 しかし、パウロは標記のように言う。信仰は、時間や習熟の問題ではない。パウロのように「天からの光」を受けて、神の真実・キリストの現実を素直に認めるかどうかの決断の問題なのである。

米子伝道所主日礼拝説教 要 旨            2008年1月13日 山本 清牧師 

 聖  書:使徒言行録26:24−32
 説教題:「信仰の決断」                
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