「わたしは、決してあなたから離れず、決してあなたを置き去りにはしない」           (ヘブライ人への手紙135より)

 1315節で勧められていることは、兄弟(信仰の仲間)を愛し合え、旅人(寄る辺なき人)をもてなせ、捕らわれている人・虐待されている人たちを思いやれ、夫婦関係を汚すな、金銭に執着するな、ということであり、当たり前のような勧めであるが、私たちは一年の歩みを振り返るとき、どれも守って来れなかったと言わざるを得ないのではないか。
 しかし、筆者がここで言いたいことは、そのような私たちが神から遠く離れていて、もはや置き去りにされている、ということではない。反対に申命記にある標記の言葉を引用するのである。そこでもう一度15節を読み直してみる。「兄弟をいつも愛し合いなさい」の原文を直訳すると、「兄弟愛に留まれ」であり、既に兄弟愛があることが前提とされている。それは、イエス・キリストが「最も小さい者」(マタイ25:40)を「わたしの兄弟」と呼んで、愛し合う群を創り出してくださったからであり、寄る辺ない人と共に交わり、自ら捕らわれの身となり、十字架の虐待を経験されたからである。夫婦の関係は互いの努力だけでは崩れやすいが、神が結び合わされた夫婦の間にはいつも主が離れずにおられ、二人だけを置き去りにされることはない。私たちは、生活に困窮したときも比較的余裕のあるときも、金銭への執着から自由ではなく、不安に陥ることが多いが、私たちがたとえ無一文になったとしても、神は私たちを置き去りにはされない。「主はわたしの助け手」であるゆえ「わたしは恐れない」(6節)のである。
 「神の言葉を語った指導者たちを思い出し、彼らの生涯の終わりを見倣いなさい」(7)と勧める。彼らは皆、神が決して離れず、置き去りにされることはないとの言葉を信じて召されたのである。「イエス・キリストは、きのうも今日も、また永遠に変わることのない方」(8)であり、今年がそうであったように、来るべき年も、変わることなく、私たちから離れず、置き去りにされることはない。

米子伝道所 主日礼拝(歳晩礼拝)説教 要 旨    2007年12月30日 山本 清牧師 

 聖  書:ヘブライ人への手紙13:1−8
 説教題:「きのうも今日も」              
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