いまだかつて、神を見た者はいない。父のふところにいる独り子である神、この方が神を示されたのである。(ヨハネによる福音書1:18

 神はモーセに「あなたはわたしの顔を見ることはできない。人はわたしを見て、なお生きていることができないからである。」(出エジプト記33:20)と言われた。人は神について色々と想像したり、思索したり、神が創られた自然の偉大さに感動したり、時には霊感を受けて神について語ったり、教えたりする。だが、誰も神そのものを見ることは許されていない。
 旧約聖書に記されている律法とイスラエルの歴史から、神の求めておられることと、歴史に働き給う力を知ることができる。しかし、人は律法に違反し、神に対して罪を犯してしまった。その決着をどうつけられるのかが示されなければ、神の真実を知ることができない。神は、独り子イエス・キリストの御生涯と御業によって、御自身が恵みと真実に満ちたお方であることをお示しになった(1:17)
 「言(ことば)」は肉となって、わたしたちの間に宿られた」(1:14)。「言」とは神の御意志・御心を表わす言葉としてのキリストであり、「肉」とは罪に支配されて、死を免れることのできない存在である人間のことである。キリストは、神の子でありつつ、罪を別にしては人間と同じ肉体や精神を持って、人間の弱さや苦しみも分かる方として、私たちのところに来られた。神は、キリストにおいて、人と共に住まわれ、人間の弱さや罪を御自分のこととして担い、愛し抜かれたのである。
 キリストは、「すべての人を照らす、まことの光」(1:9)であると言われる。神とキリストとの深い愛の関係から発せられる命の光は、罪にまみれた闇の世を隅々まで照らし、罪に死んだ命を甦らせる。キリストの御生涯は一見、敗北と挫折に見えるが、そこにこそ神の愛の勝利があり、栄光が輝いており、恵みと真理に満ちている(1:14後半)。この命の光は、今も、聖書と教会を通して、礼拝において私たち一人一人に注がれている。そこで私たちは、神の真実を知り、神との関係を回復され、新しい命に生きる者とされるのである。
   

米子伝道所 クリスマス礼拝説教 要 旨    2007年12月23日 山本 清牧師 

 聖  書:ヨハネによる福音書1:6−18
 説教題:「神の子がわたしたちの間に」         
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