「神から遣わされた一人の人がいた。その名はヨハネである。彼は証しをするために来た。光について証しをするため、また、すべての人が彼によって信じるようになるためである。」
                (ヨハネによる福音書1:6,7)


 どの福音書にも洗礼者ヨハネが登場する。なぜ、ヨハネのことを取り上げねばならないのか。聖書学者はその理由として、福音書が書かれた頃に洗礼者ヨハネの弟子たちと主イエスの弟子たちの間に確執があって、ヨハネを主イエスとの関係から、きっちりと位置づけておく必要があったからだと説明する。しかし、福音書の書き様は、むしろヨハネの役割の重要性を語ろうとしている。なぜなら、ヨハネは旧約の預言者の言う「荒れ野で叫ぶ声」であり、主イエスを人々に証しするという重要な役割を担っているからである。そして、ヨハネの役割は全てのキリスト者の役割でもある。
 ヨハネは、主イエスと同様に「神から遣わされた」(6節)。私たちもまた、神から遣わされている。私たちに与えられた証人としての役割は、私たちの選択や決心によるのではなく、神が召して、用いられるのである。私たちが優れているからではなく、私たちの弱さ、貧しさ、足りなさをも用いて下さるのだ。
 ヨハネがこの世に生を受けた目的は光である主イエスを証しすることであったが、私たちキリスト者の生きる目的も究極的には主イエスを証しすることにある。他の諸々の目的は、この大目的に付随するものでしかない。
 「すべての人が彼によって信じるようになるため」(7)と言われている。「彼」とはヨハネのことであり、私たちのことにもなる。証しする人がいなければ、誰もキリストを知ることはないし、信じることはない。だから、証し人の役割は大きい。ヨハネは「声を張り上げて」(15)主を証しした。切迫感を持って、力を込めて語った。だが彼は、「荒れ野で叫ぶ声」以上の者であろうとしなかった。「声」は消え去る。「言」であるキリストが残る。私たちも、声高に自分を証しするのではなく、キリストを証しする「声」に留まりたい。

米子伝道所 待降節第三主日礼拝説教 要 旨    2007年12月16日 山本 清牧師 

 聖  書:ヨハネによる福音書1:6−18
 説教題:「光の証人」              
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