(ことば)の内に命があった。命は人間を照らす光であった。光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった。(ヨハネによる福音書1:4,5)   

 標記の「(ことば)」とは、神の言葉であるキリストのことである。キリストには命がある。この「命」とは、肉体的・生物的な命のみならず、神の御心と共にある命(1,2節)、神との人格的な交わりに生きる命のことを指している。人間は創造に当たって、肉体的な命だけでなく、霊的な命を与えられて、神との良好な関係に生きる筈であったが、罪が入り込んだために、神との交わりを失い、命は死すべきものとなった。
 だが、キリストの中には本来の命が満ちている。クリスマスにはキリストが命の光として地上に来られ、人間を照らし出した。この世には罪の暗闇が覆っているが、その中でキリストの命の光が輝いたのである。光の輝きの中で、暗闇はかき消されなければならない。罪と死は影を潜めなければならない。
 しかし、暗闇は光を理解せず(新共同訳)、受け入れようとしなかった。人間の罪は激しく抵抗して、遂に、キリストを十字架に追いやり、命を断ってしまった。だが、キリストの命は失われることなく甦った。復活の朝に輝いた命の光は、全ての暗闇を追放した。暗闇は光に勝たなかった(口語訳)のである。
 こうして、キリストの命の光は、今も輝いている。だが、2000年前に「暗闇が光を理解しなかった」ように、今も人はキリストの光に背を向け、降り注ぐ光の中にありながら、自分に覆いをかけてしまっている。私たちの中にある罪は、光を受け入れようとしない。そして、神との本来の関係が損なわれている。肉体の命は生きていても、霊の命は死んでいる。礼拝は、神の言であるキリストの命の光を受けて、新しい霊の命に生かされる場である。失われた神との関係が創造の時の本来の状態に戻されて、命が再創造され、この世の暗闇の中に輝き始めるのである。それが永遠の命に生きるということである。    

米子伝道所 待降節第二主日礼拝説教 要 旨      2007年12月9日 山本 清牧師 

 聖  書:ヨハネによる福音書1:1−5
 説教題:「光は暗闇の中で」              
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