初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。・・・・万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。     (ヨハネによる福音書1:1,3)

 ヨハネによる福音書のキリスト論は標記の聖句で始まる。ここで「言」とはイエス・キリストを指すが、ギリシャ語では「ロゴス」といい、「言葉」、「出来事」を意味する。言葉というものは、情報を交換したり、意志や思いを伝える役割をする。言葉が媒介となって人と人が結びつく。ヨハネはキリストを、神の御意志や御心を表わす「言」として、神と人とを結びつけるお方であることを示そうとしている。人間の言葉にはウソがあり、本心と異なる場合があって、必ずしも実体を伴わないが、神の言葉は天地創造の御業が言葉によって行なわれたように、「出来事」となり、実体を伴う。キリストも神の御意志・御心の実体なのである。
 「初めに言があった」とは、世界の創造に先立ってキリストが在したということであり、キリストは神の被造物ではないし、神の御意志を伝える単なる手段でもない。「言は神と共にあった」と言われているように、キリストは神の御心としっかりと結びついていて、その間にはズレはなく、キリストは神の御意志そのものである。しかし、神とキリストは同一ではなく、あくまで「共にあった」のであって、深く緊密な人格的関係にある。
 「言は神であった」とは、キリストは人間の中で神に近い方だとか、人間として優れた功績を挙げたので神になったというのではなく、神の子であるとの告白であり、そのキリストが地上に誕生されたのは、神が仮の姿をとったとか、神であることを止めて人間に変身したのではなく、神が人となられたのである。
 キリストは万物の創造にも関与されたのであるが、クリスマスの時に、「神の言」として地上に来られることによって、罪を犯して神との繋がりを喪失した人間の再創造の御業を始められたのである。それは、人間を救おうとする神の御意志の「出来事」であった。

米子伝道所 待降節第一主日礼拝説教 要 旨      2007年12月2日 山本 清牧師 

 聖  書:ヨハネによる福音書1:1−3
 説教題:「初めに言があった」              
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