「今日、救いがこの家を訪れた。この人もアブラハムの子なのだから。」                   (ルカによる福音書199

 徴税人ザアカイは、ユダヤ人から見ると敵のローマの手先になって自分たちの大切なお金を取り立てる、けしからん奴であり、不正な取立てをして自分の資産を増やす強欲な人間として嫌われ、さげすまれ、罪深い男とされていて、本当の友達もなく、その心の中は空しさにおおわれ、平安がなかったと思われる。私たちもまたザアカイのように、この社会の中で不本意な生き方を余儀なくされることがあるのではないか。
 ザアカイは、イエスの評判を聞いて、どんな人か見ようとしたが、背が低かったので群衆に遮られて見ることができないので、先回りしていちじく桑の木に登っていた。すると、通りかかったイエスが上を見上げて「ザアカイ、急いで降りて来なさい。今日は、ぜひあなたの家に泊まりたい」と言われたのだ。ザアカイは、イエスが自分の名前を知っておられたことに驚き、自分のような、この世ではまともな人間とは思われていない者に声をかけて下さったことを喜んで、新しい世界が開けてくるように感じた。この出会いの中に、福音の世界そのものが凝縮されている。
 こうして、イエスはザアカイの家の客となったが、ザアカイは自分の罪を悔い改め、財産の半分を貧しい人々に施すと言った。それは彼の喜びの大きさを示している。
 その喜びの内容が、標記のイエスの言葉に表されている。「アブラハムの子」とは、ザアカイも神の選んだ民の一員であり、神の救いにあずかる権利を持った兄弟である、という意味で、イエスはザアカイを神の前における一人の人格として見て下さったのである。救いとは、病気が治るとか、うまくいかない商売が立ち直るとか、直面している難問が解決する以上のことであり、神との出会いによって始まる。イエスは「わたしを見た者は、父を見たのである」(ヨハネ149)と言われた。ザアカイを訪れたイエスの中に、神の訪れがあったのだ。神は、イエスを通して更に多くの人に御自分と会うよう呼びかけておられる。

米子伝道所伝道礼拝説教 要 旨    2007年11月11日 出雲今市教会 井上 豊牧師 

 聖  書:ルカによる福音書19:1−10
 説教題:「一番大切なものはなに?−あなたに伝えたいこと−」 
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