「ローマ帝国の市民権を持つ者を、裁判にかけずに鞭で打ってもよいのですか。」             (使徒言行録2225より)

 パウロがユダヤ人たちに向かって、自分の回心のことを語り、異邦人のために遣わされたことを話すと、彼らは「こんな男は生かしてはおけない」とわめき立てた。ローマ兵の千人隊長は、ユダヤ人たちが何を怒っているのか知るために、パウロを拷問にかけて悪事を吐かせようと、鞭で打つように命じた。その時パウロは標記のように言った。ローマ市民を理由なく鞭打つことは禁じられていたからである。パウロは自分の命が惜しかったのではない。ローマで福音の宣教に仕えるという務めを果たすために、何とかして生き延びたいと考えたのであろう。
 パウロが生まれながらのローマ市民であることを知って驚いた千人隊長は、手を引かせ、ユダヤの最高法院でユダヤ人たちの訴えを聞こうとした。そこでパウロは、自分が神の前に良心に従った生き方をしていることを述べ、大祭司アナニアの不正を批判した。更に、議員の中に復活を認めるファリサイ派と認めないサドカイ派がいることを知って、自分が復活の望みを抱いていることで裁判にかけられていると述べると、パウロのことはそっちのけで論争が始まり、収拾がつかなくなった。結局、パウロは兵営に戻され、悪意に満ちたユダヤ人たちの手から逃れることが出来た。
 パウロはこのように、ローマの市民権というこの世の特権と、議場の状況を読む知恵を働かせて、身を守ったのであるが、その夜、パウロに現われた主は、「エルサレムでわたしのことを力強く証しした」(11節)と評価されている。 私たちはそれぞれ、生まれながらの境遇とか、教育や人生の経験の中で培われたものを、いわば「市民権」として持って生活している。だがキリスト者はその上に、神の国の市民権をも与えられている。キリスト者がなすべきことは、パウロと同じように、この世の市民権を存分に生かして、神の国の市民としての役割を果たすことである。

米子伝道所主日礼拝説教 要 旨             2007年10月14日 山本 清牧師 

 聖  書:使徒言行録22:22−23:10
 説教題:「神の国の市民権」                 
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