都全体は大騒ぎになり、民衆は駆け寄って来て、パウロを捕らえ、境内から引きずり出した。そして、門はどれもすぐに閉ざされた。

                 (使徒言行録2130

 パウロが「律法を守ることによっては救われない」と説いているのを、「律法を守るな」と教えていると誤解する人がいたために、パウロは誓願を立てている人と共に神殿に出向いて、律法に従って清めの儀式に参加した。パウロが神殿に行くことは、危険なことであったが、パウロは弱い信者のために、自分の自由を犠牲にできる自由を持っていた。
 この様子を見たユダヤ人は、異邦人が入ってはならないとされていた境内にギリシャ人を連れ込んでいると、憶測が誤解を生んで、標記のようにパウロを捕らえて、殺そうとした。彼らがパウロを境内から引きずり出し門を閉ざしたのは、パウロの血によって聖域が汚されないためである。だが、神殿の門が閉ざされたことは、キリストの十字架による赦しが始まったことによって、動物の犠牲によって罪が赦される時代が終わって、神殿の役割が閉じたことを象徴的に示しているように思える。
 神殿が混乱しているとの報せに、ローマ兵の守備大隊の千人隊長が駆けつけて、パウロを鎖で縛って保護した。こうしてパウロは、ローマ皇帝の支配下で取調べを受けることになり、自由を奪われながらも、最終的にはローマへ行くことになるのである。こうして神は、ローマの権威を用いてパウロの命を守り、念願のローマへと導かれるのである。
 このように、人間の目には逆風と見えたり、行き詰まりと思えたり、敗北と捉えられることの中にも、神は私たちが思いもしなかった新しい道を開いて下さり、ご計画を進められるのである。

米子伝道所主日礼拝説教 要 旨             2007年9月23日  山本 清牧師 

 聖  書:使徒言行録21:27−40
 説教題:「主の備え給う道」              
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