パウロがわたしたちの勧めを聞き入れようとしないので、わたしたちは、「主の御心が行なわれますように」と言って、口をつぐんだ。                     (使徒言行録2114

 パウロの第三次伝道旅行の最後の行程で、一行はエルサレムに向かっていた。途中寄港したティルスでは、その町の弟子たち(信徒たち)が、「霊に動かされ」、エルサレムへ行かないように言い(4節)、カイサリアではアガポという預言する者がやってきて、聖霊のお告げとして、パウロがエルサレムで縛られて異邦人の手に引き渡されると言った(11節)。これを聞いた同行の者たちは、パウロのことを心配して、エルサレムへは上らないようにと頼みはじめた。さすがもパウロも心がくじけそうになったが、「主イエスの名のためならば、エルサレムで縛られることばかりか死ぬことさえも、わたしは覚悟しているのです」(13)と言って、同行者たちの勧めを聞き入れようとはしなかった。
 パウロがエルサレム行きにこだわったのは、エルサレム教会の人たちがユダヤ人の迫害を受けて、経済的にも困っている信徒たちがいたので、伝道旅行先の諸教会から託された献金を届ける使命があったからであるが、それは単なる義捐金以上の意味があって、エルサレム教会を通して受けた救いの恵みに対して、異邦人教会からの感謝が込められており、ユダヤ人と異邦人という区別を超えた全体教会の一致の内実を満たすという重要な目的があったのである。そのために、パウロ自身が「霊に促されて」(22節)、苦難を覚悟の上で、使命を果たそうとしたのである。
 最終的に、同行者たちも「口をつぐんだ」のは、パウロの意志があまりにも固いので説得を諦めたのではなくて、パウロの決心の中に、聖霊の導きと、主の御心があることを信じたからであろう。主イエスも十字架に向う前に、ゲッセマネで「御心に適うことが行われますように」と祈られ、また、「主の祈り」の中でも、「御心が行われますように」と祈るように教えられた。真実の祈りとは、自分の思いや願いを申し述べるだけではなく、主の御心に委ねる祈りなのである。

 米子伝道所主日礼拝説教 要 旨            2007年9月9日  山本 清牧師 

 聖  書:使徒言行録21:1−16
 説教題:「御心が行われますように」
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