「そして今、神とその恵みの言葉とにあなたがたをゆだねます。この言葉は、あなたがたを造り上げ、聖なる者とされたすべての人々と共に恵みを受け継がせることができるのです。」 (使徒言行録2032

 パウロは、エフェソの教会の人々とは、もう二度と会えないという別れの悲しみの中で説教しているのであるが、そこには神の恵みの言葉に対する深い確信が貫かれている。
 説教の前半では、数々の試練に遭いながらも、主に仕えてきたことを述べ(19)、「御国」(25)と「神の御計画をすべて、ひるむことなく伝えた」(27)と語って、「だれの血(=霊的な命)についても、わたしには責任がありません(26)」と言い切る。パウロは責任逃れをしているのではなく、彼が宣べ伝えた「御国と神の御計画」が確かであり、残される教会は「神が御子の血によって御自分のものとなさった(28)」、つまり、主が責任をとって下さった群れだと言いたいのである。それゆえ、邪説を唱える「残忍な狼ども」が教会の内外に現われても、これまでパウロが教えてきたことを思い起こして、目を覚ましておればよいのである。
 そしてパウロは標記のように語る。御言葉を、残される長老・監督者たちに委ねる、と言っているのではない。彼らを、御言葉に委ねるのである。これまで宣べ伝えて来た御言葉自体が教会を造り上げ、群れに恵みを受け継がせることが出来るからである。
 最後にパウロは、自分が教会の人々に経済的負担をかけないで来たことを述べて、主イエスが「受けるよりは与える方が幸いである」と言われたことを思い出させているが、この言葉は、単に<人の世話をする方が幸せな気持ちになれる>ということではなくて、主イエスが自分の命を捨てて私たちを贖って下さったように、私たちもまた、信仰の弱い者のために、身を削って御言葉を受け継がせることの幸いを述べているのである。

米子伝道所主日礼拝説教 要 旨               2007年9月2日 山本 清牧師 

 聖  書:使徒言行録20:25−38
 説教題:「恵みの継承」                  
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