「イエスのことは知っている。パウロのこともよく知っている。だが、いったいお前たちは何者だ。」そして、悪霊に取りつかれている男が、この祈祷師たちに飛びかかって押さえつけ、ひどい目に遭わせたので、彼らは裸にされ、傷つけられて、その家から逃げ出した。                        (使徒言行録191516

 神は、エフェソにおいてパウロの手を通して、目覚しい奇跡を行われることによって、イエス・キリストによる神の国の御支配が始まっていることを示された。ところが、エフェソの町には迷信や偶像が氾濫しており、ユダヤ人の祈祷師たちも来ていた。彼らはパウロが身につけたものに触れると悪霊が出て行くのを見て、自分もイエスの名を唱えて、悪霊を追い出そうと試みた。
 それに対して悪霊は標記のように言って、祈祷師に逆襲した。この祈祷師のような、主イエスの名を利用しようとするだけの迷信的な信仰では、悪霊を追い出すことが出来ないばかりか、反って悪霊に傷つけられてしまうのである。悪霊は私たちの心の隙間、信仰の弱いところに住み着いて、私たちの心身を病気にしたり、罪を犯させたりする。そのような弱さを、ただ主イエスの名を利用して取り除いてもらおうとしても、それは魔術や迷信に期待するのと同じで、悪霊を追い出すことは出来ない。しかし、主イエスを信頼して、すべてを主の御支配に明け渡すとき、悪霊は退散せざるを得ないのである。
 これらのことを知ったエフェソの町の人々は皆、恐れを抱き、主イエスの名をあがめるようになったという。神の国の支配が始まっていることを認めたということである。そして、信仰に入った者たちは、自分たちの悪行を告白し、魔術を行っていた者は、その書物を焼き捨てた。
 私たちは、自分が大切にして来たもの、拠り所として来たものをなかなか捨てきれないが、御言葉によって主イエスの圧倒的な力に接することによって、自らの過ちを知らされ、悔い改めに導かれ、私たちを捕えていたものを捨てることができるのである。

米子伝道所主日礼拝説教 要 旨              2007年7月15日 山本 清牧師 

 聖  書:使徒言行録19:11−20
 説教題:「迷信からの解放」                   
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