その日には、エジプトの地の中心に、主のために祭壇が建てられ、その境には主のために柱が立てられる。それは、エジプトの地において、万軍の主を指し示すしるしとなり、証しとなる。
                    (イザヤ書
191920a) 

 イザヤ書19章の1〜15節には、エジプトへの厳しい審きが語られる。エジプトには強大な軍事力があり、高度の文明が発達している。頼り甲斐があるように見える。そこに身を寄せるのが安全であり、その文明を吸収することが将来の発展につながるように見える。だが、それらは偶像にすぎない。「主の御前に、エジプトの偶像はよろめく」(1)。内乱によって自滅させられる(2)。混乱から脱却しようとして、偶像や霊媒に指示を求めるが、当てにならず(3)、外国の王の支配の手に渡される(4)。エジプトの文明を支えていたナイル川の恵みも、神が干上がらされると、生活も産業も成り立たなくなる(510)。「もはやエジプトでは、だれも何もなしえない」(15)。――この「エジプト」とは、この世で頼り甲斐があるように見えるものの代表である。
 だが、主の託宣はここで終らない。16節以下には「その日」のことが語られる。「その日」とは、イエス・キリストの十字架と復活で始まり、キリストの再臨で完成する、今の時のことである。「その日には・・・ユダの地は、エジプトを恐れさせる」(16)。ユダとは神の民であり、現代で言えば「教会」と読み替えることが出来る。「その日には、エジプトの地に五つの町ができる。・・・その町の一つは『太陽の町』ととなえられる」(18)異教の偶像が圧倒的な力を持っていると思われるエジプトの中に、標記のように、真の神が礼拝される空間が生れるのである。「その日には、エジプト人は主を知り」(21)、審きの対象であった異邦人も、救いの対象となる。彼らも主に立ち帰り、いやされる。更に「その日にはエジプトからアッシリアまで道が敷かれ」(23)、敵対していた者たちが共に礼拝し、和平が実現する。そして、イスラエルと共に彼らも万軍の主の祝福を受ける。「その日」はもう始まっている。

米子伝道所主日礼拝説教 要 旨              2007年6月24日 山本 清牧師 

 聖  書:イザヤ書19:1−24
 説教題:「万軍の主」                   
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