実際、神はわたしたち一人一人から遠く離れてはおられません。                 (使徒言行録1727より)

 アテネは古代ギリシャ文化の中心地であるが、町の至るところに偶像があり、その中に「知られざる神に」と刻まれた祭壇もあった。アテネの人たちは、たくさんの神々を拝んでいながら、まだ知らない神があるのではないかという不安から、このような祭壇を築いていたのである。人間が考え出した神や、人の手で造った偶像を拝んでも、人は安心することができず、神は遠い存在でしかない。
 だが、「世界とその中の万物とを造られた」(24)創造者なる神は、私たち被造物にとって決して遠い存在ではなく、神は一人一人の人間を神にとってもかけがえのない存在としてお造りになった。また神は、「人の手によって仕えてもらう必要もない」が、「すべての人に命と息、その他すべてのものを与えてくださる」(25)お方として、私たちに必要なものを備えて下さるのである。その上、神は一人の人アダムから、すべての民族を造り、土地や気候の条件が違うところに住まわせ、その摂理をもって環境と歴史を導いて来られた。だから神の前では、どの民族が優れているとか劣っているとか、誰が神に近いとか遠いということはない。誰も、神を見出せないような所に置かれていないし、神から忘れられるような遠くにいる者もいないのである。
 このように神は、わたしたち一人一人から遠く離れておられるのではないのだが、さらに、真の神に背を向けて、偽りの神々を拝んでいる私たちの罪に対する裁きを、イエス・キリストに負わせることによって、神は遠く離れておられないどころか、私たちのために独り子の命をも惜しみ給わないほどに、私たちに近くいて下さることをお示しになったのである。
 今や、真の神が知られない時代は終わり、真の神が近くにいて下さることが明白な時代になったのであるから、悔い改めを急がなければならない。

米子伝道所主日礼拝説教 要 旨               2007年6月10日 山本 清牧師 

 聖  書:使徒言行録17:16−34
 説教題:「遠くない神」              
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