ここのユダヤ人たちは、テサロニケのユダヤ人よりも素直で、非常に熱心に御言葉を受け入れ、そのとおりかどうか、毎日、聖書を調べていた。                    (使徒言行録1711

 パウロとシラスはテサロニケの町で、聖書を引用して(旧約聖書に基づいて)「メシア(キリスト)は必ず苦しみを受け、死者の中から復活することになっていた」と論じ、「このメシアはわたしが伝えているイエスである」(17:3)と説明し、論証した。「論証した」という言葉は、元は「並べる」という意味を持つ。つまり、旧約聖書に書かれていることと、主イエスの御業を「並べて」、聖書に書かれていることが、主イエスによって実現したのだ、と論証したのである。これがパウロたちの伝道の基本パターンである。
 ところが、テサロニケのユダヤ人たちは、パウロの話が多くの人に受け入れられるのを見てねたみ、パウロたちが騒ぎを起しているとして、当局に訴えた。一方、ベレアの町では、標記のように、パウロの語ることを素直に受け止めて、そのとおりかどうか、真摯に聖書を調べたのである。
 ここに、聖書に対する二通りの態度が描かれている。一方は、聖書に基づくパウロの話を確かめようともせず、自分たちの立場が悪くなることを恐れて、ねたみを抱いたのに対し、他方は、聖書の言葉を重く受け止めて、それと真剣に向き合おうとしたのである。
 私たちが聖書の言葉に出会うときにも、自分の都合に合わせて聞くのではなく、聖書が何を語ろうとしているのか、自分に何が求められているのかに耳を傾け、自分でもよく調べて納得するという、聖書と格闘するような受け止め方が必要である。私たちの命が聖書の御言葉にかかっているのであるから、必死で取り組んで然るべきである。そうすれば、聖書は必ず応えてくれるし、確信を得ることができ、生きる力も、喜びも、希望も与えられるのである。

米子伝道所主日礼拝説教 要 旨              2007年6月3日 山本 清牧師 

 聖  書:使徒言行録17:1−15
 説教題:「聖書に基づいて」              
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