この人たちは皆、信仰を抱いて死にました。約束されたものを手に入れませんでしたが、はるかにそれを見て喜びの声をあげ、自分たちが地上ではよそ者であり、仮住まいの者であることを公に言い表したのです。                 (ヘブライ人への手紙1113

 アブラハムは、神の召しに従って、行き先のことも知らずに故郷から出て行った。信仰者の特色は、これまでの実績や絆や思い出にとらわれず、神が示されるところへ旅立てるということである。それは、過去を捨てる思い切りの良さではない。神が備えてくださる堅固な都を望み見ているからである。
 アブラハムとサラ夫妻には高齢になっても子供がないのに、空の星のように、海辺の砂のように、多くの子孫が与えられるという、常識では信じられないような約束を神から与えられた。神はご自分の約束を貫いて、夫妻に子供をもうける力を与えられた。神は、迷いやすい私たちをも、信じさせてくださるお方である。
 アブラハムは、せっかく与えられた子供を献げるように、試みを受けた。けれどもアブラハムは、主が約束を曲げられないお方であるがゆえに、御言葉に従ってわが子を献げることを、矛盾だとは考えなかった。信仰者は、一見不条理に見えるこの世の矛盾に惑わされず、神の言葉に信頼し続ける。
 イサクやヤコブやヨセフは死に臨んでも、将来を信じていた。信仰者は、死後を神に委ねることが出来る。そして、自分は天の故郷に入ることを待ち望みつつ、死の間際まで神に祈り、礼拝する。
 これらは、理想的な信仰者の姿であって、私たちとはかけ離れているように見えるかもしれない。しかし、神は私たちをも、この信仰者の列に加えようと、今も御言葉をもって召してくださっている。

米子伝道所主日礼拝説教 要 旨             2007年2月25 日 山本 清牧師 

 聖  書:ヘブライ人への手紙11:8−22
 説教題:「信仰によって」                   
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