「神の言葉は、まずあなたがたに語られるはずでした。だがあなたがたはそれを拒み、自分自身を永遠の命を得るに値しない者にしている。見なさい、わたしたちは異邦人の方に行く。・・・異邦人たちはこれを聞いて喜び、主の言葉を賛美した。そして永遠の命を得るように定められている人は皆、信仰に入った。」  (使徒言行録134648

 ピシディアのアンティオキアの会堂で語ったパウロの説教によって、ユダヤ人も異邦人も、大いに興味をそそられて、次の安息日にも同じことを話してくれるように頼んだ。ところが次の安息日になって、大勢の異邦人を含む群衆が集まってくるのを見ると、ユダヤ人たちは、救いが安易に広がることによって、自分たちの特権や誇りに傷がつくことを恐れて、これ以上パウロが話すことに反対した。そこでパウロが標記のように言った。
 神の言葉は、まずユダヤ人にこそ語られるべきであり、彼らこそ永遠の命を受けるはずであった。ところがユダヤ人は神の言葉を拒否して、自ら永遠の命を得ることを放棄してしまった。一方、異邦人たちは神の言葉を喜んで聞き、その中で「永遠の命を得るように定められている人」は信仰に入った。
 神はユダヤ人も異邦人も、全ての人が救われて、永遠の命を得ることを望んでおられる。だから神の言葉は全ての人に向けて語りかけられる。しかし人は、ユダヤ人がそうであったように、自分のそれまでの立場や生き方を変更することが出来なくて、永遠の命を逃してしまう。一方、神の言葉の圧倒的な恵みを素直に受け入れる人は、自分が気付く前から神の主権によって「永遠の命を得るように定められていた」と受け取るのである。両者の違いは、神の言葉よりも自分の思いを優先するか、神の言葉を自分の思いを越えた神の主権的な恵みとして受け入れるか、である。

米子伝道所主日礼拝説教 要 旨              2007年2月4日 山本 清牧師 

 聖  書:使徒言行録13:42−52
 説教題:「永遠の命を得る」                  
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