神は御言葉をあなたがたに余すところなく伝えるという務めをわたしにお与えになり、この務めのために、わたしは教会に仕える者となりました。  (コロサイの信徒への手紙1:25

 昨年は「御言葉に仕える教会形成」を目標に掲げ、独立教会に向けての教会形成の基礎を御言葉によって築くことを目指した。この目標が達成できたわけではないが、御言葉自体は外に向かって行くエネルギーを宿しているものであり、教会は、御言葉によって内部を固めるとともに、絶えず外に向かって御言葉を伝える働きをしなければならない。そこで本年は、「わたしたちはキリストの使者」との目標を掲げ、一人一人がキリストの使者として、伝道の業に具体的に参加することを目指すこととした。
 しかし、福音を伝えることには困難や苦しみが伴う。というのは、福音とはキリストの十字架によって罪が赦されたことであり、それを伝えることは、人間の罪が顕わにされなければならないからである。キリストが苦難を受けられたように、伝道の業も苦難に遭わざるを得ない。だが、パウロは言う。「今や、わたしは、あなたがたのために苦しむことを喜びとし、キリストの体である教会のために、キリストの苦しみの欠けたところを身をもって満たしています」(コロサイ1:24)と。伝道のために苦しむことは喜びとなるのである。キリストの十字架の御業に欠点があるとか不完全であるということではないが、救いはキリストの御業が人に伝えられることによって初めて、神の救いの計画は成就するのである。
 ところで、アンティオキアの教会がパウロたちを世界伝道へと送り出したのは、教会で礼拝し、断食(祈りに専心するために食を断つこと)しているときに、聖霊が告げたからであった。私たちは礼拝と祈りの中で、聖霊によって伝道の場へと遣わされる。そこには苦難も待ち受けているが、キリストと苦難を共にする喜びがある。

米子伝道所主日礼拝説教 要 旨              2007年1月7日 山本 清牧師 

 聖  書:使徒言行録13:1−3/コロサイの信徒への手紙1:24−29
 説教題:「伝道への出発」                  
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