主がこの人々を助けられたので、信じて主に立ち帰った者の数は多かった。……弟子たちが初めてキリスト者と呼ばれるようになったのである。               (使徒言行録11:21、26b)

 主イエスの母マリアが洗礼者ヨハネの母エリサベトを訪問したとき、その胎内の子がおどった(ルカ1:39-45)。幼子の誕生の約束を受けた者たちが出会うところに、既に約束された者がいたのである。教会は約束を受けた者たちの群であり、その交わりの中には、目には見えないが、救い主イエス・キリストがおられる。
 アンティオキアの教会には、エルサレムで起った迫害から逃れたヘレニストたち(ギリシャ語を話すユダヤ人)と、キプロスやキレネから来たギリシャ人(異邦人)がいたが、「主がこの人々を助けられた(直訳:主の手が彼らと共にあった)ので、信じて主に立ち帰った者の数は多かった」(21節)。主がこの交わりの中におられたのである。
 エルサレム教会から遣わされたバルナバは、この教会の有様を見て喜び、「固い決意をもって主から離れることのないようにと、皆に勧めた」(23節)。教会が勢いを持ち続ける秘訣は、主から離れないことである。
 このアンティオキア教会で、「弟子たちが初めてキリスト者と呼ばれるようになった」のは、信者たちがいつもキリストのことを口にし、告白していたことの証しである。「キリスト者」とは、まさにキリストがいつも共におられる者、キリストを語らざるを得ない者のことである。
 そのころ、世界中に大飢饉が起こったが、アンティオキア教会ではユダヤに住む兄弟たちに援助の品を送った。ここに教会の美しい交わりの姿を見ることが出来るが、これらの遠く離れた二つの教会の間にも主が共におられたのである。

米子伝道所待降節第二主日礼拝説教 要 旨      2006年12月10日 山本 清牧師 

 聖  書:使徒言行録11:19−30/ルカによる福音書1:39−45
 説教題:「主にある交わり」                   
説教リストに戻る