「こうして、主イエス・キリストを信じるようになったわたしたちに与えてくださったのと同じ賜物を、神が彼らにもお与えになったのなら、わたしのような者が、神がそうなさるのをどうして妨げることができたでしょうか。」             (使徒言行録1117

 ペトロが異邦人たちと一緒に食事をしたことを、ユダヤ人キリスト者たちは非難した。それに対するペトロの反論は、コルネリウスたちが救われるに至った「事の次第を順序正しく説明」(11:4)することであった。福音を人に伝える場合に、そこで説得力を持つのは、イエス・キリストにおいてなされた救いの事実である。ペトロとコルネリウスたちに起ったすべての出来事と、彼らに与えられた言葉とは、「幻」と「天使」と「霊」によることであった。言換えれば、ペトロが順序正しく説明したことは、すべて神の不思議な御業であった。
 そして、最終的には、聖霊の賜物が、あのペンテコステの時に弟子たちに降ったのと同じように、コルネリウスたちにも降ったのである。そこでペトロが思い出したのは、主イエスが「ヨハネは水で洗礼を授けたが、あなたがたは聖霊によって洗礼を受ける」と言っておられた言葉であった。ヨハネは悔い改めのしるしとしてヨルダン川の水で洗礼を授けたが、それは罪の赦しの保証のないものであった。しかし、主イエスの十字架によって罪の贖いが行われたので、聖霊によって内面から清められることになった。そのことが異邦人にも起って、悔い改めが成就したのである。
 このように、異邦人にも聖霊の賜物まで与えられたのを見て、ペトロは神が圧倒的な主導権をもって、救いの出来事を進めておられることを覚えて、標記のように述べたのである。この言葉を聞いて、ユダヤ人キリスト者たちも、静まらざるを得なかった。そして、神を賛美することへと導かれた。
  

米子伝道所待降節第一主日礼拝説教 要 旨      2006年12月3日 山本 清牧師 

 聖  書:使徒言行録11:1−18/マタイによる福音書3:1−12
 説教題:「聖霊によって」                   
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