国々は、多くの水が騒ぐように騒ぎ立つ。だが、主が叱咤されると彼らは遠くヘ逃げる。山の上で、もみ殻が大風に、枯れ葉がつむじ風に追われるように。            (イザヤ書17:13)

 イザヤの時代、大国アッシリアの脅威のもとで、神の民は政治的にも信仰的にも危機にあった。その中でイザヤは、目に見える状況や人間的な判断を越えた神の言葉を語った。
 まず、周辺国アラムが反アッシリア同盟の誘いをかけて来たことに対しては、繁栄を誇ったダマスコの都は面影を失い、瓦礫の山となる、と告げて、神に信頼せずに異教国と手を結ぶことの愚かさを語る。次に、北王国イスラエルに関しても、やせ衰えるように力が弱まり、立ち枯れの穂落ち穂のようになると告げる。また、救い主である神を忘れ、異教の神々にささげる園(礼拝場所)を造っても、ある朝、突然に何の収穫も得られなくなる、と語る。 更に、怒涛のように押し寄せるアッシリアの大軍のどよめきに、国々は騒ぎ立つが、標記のように、主の怒りによって、もみ殻や枯れ葉のように散らされてしまう、と言う。実際、ヒゼキア王の時に、エルサレムに迫っていた185千人のアッシリア軍が一夜にして撃たれて退却してしまった(列王記19章)。
 教会は今、世俗の勢力や時代の潮流の前に、手も足も出ない状態に見える。この世的な知恵の応援を求める誘惑に負けたり、神ならざるものに心を奪われたりしてしまいかねない。教会に残されている者は、オリーブの木摘み残りの実のように、ほんのわずかに見える。だが、「その日には、人は造り主を仰ぎ、その目をイスラエルの聖なる方に注ぐ」と言う。これは終りの日の預言であるが、主イエス・キリストが地上に来られたことによって、「その日」の到来は確実なものとなった。教会は終わりの日の礼拝を先取りする。残された神の民が消え去ることはない。むしろ消え去るのは、今、海のどよめきのように騒ぎ立っている世俗の勢力なのである。

米子伝道所主日礼拝説教 要 旨             2006年11月26日 山本 清牧師 

 聖  書:イザヤ書17:1−14
 説教題:「枯れ葉がつむじ風に追われるように」      
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