「神は人を分け隔てなさらないことが、よく分かりました。どんな国の人でも、神を畏れて正しいことを行う人は、神に受け入れられるのです。」                 (使徒言行録103435

 幻によって異邦人コルネリウスとの出会いへと導かれたペトロが到達した結論が標記の言葉である。
 しかし、ここで言われていることは、そもそも主イエスの御業の中に示されていることであった。「主イエスは、方々を巡り歩いて人々を助け、悪魔に苦しめられている人たちをすべていやされた」(38節)。神に選ばれた民として、異邦人を差別しながら、自らを誇っていたユダヤ人たちが、神の子「イエスを木にかけて殺して」(39節)しまった。「神はこのイエスを三日目に復活させ」(40節)ることによって、人間の罪は克服された。救いはユダヤ人が積み重ねて来たものや、人間の功績の上に与えられるのではなく、一方的に神から与えられるものである。だから救いは、ユダヤ人だけではなく、すべての人々に開かれた。「この方を信じる者はだれでもその名によって罪の赦しが受けられる」(43節)のである。このことが、異邦人コルネリウスが救われる根拠であり、教会が異邦人を含めて、世界中の人々に福音を宣べ伝える根拠である。
 ペトロの証しの言葉を聞いたコルネリウスの家の一同の上に聖霊が降った。そして異言を話し(文字通りには「舌において語り」)、神を賛美した。こうして異邦人にも救いが現実のものとなった。私たちは救いについて、色々な偏見や、固定観念や、諦めを持ってしまい、救われる人と救われない人の間に壁を立てたり、神と自分自身との間にも、距離を置いたり、壁をこしらえて、せっかくの救いの恵みを無駄にしている。しかし、主イエスの御業そのものに、そうした壁を崩す力がある。主イエスの御業が語られるところには、聖霊が働くからである。

米子伝道所主日礼拝説教 要 旨             2006年11月19日 山本 清牧師 

 聖  書:使徒言行録10:34−48
 説教題:「主の証人」                   
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