信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです。              (ヘブライ人への手紙11:1)

 これは信仰の定義というより、信仰というものの特徴・基本的性格を述べたものである。「望んでいる事柄」とは、自分勝手な願望のことではなく、神の約束によって待ち望んでいるもの、すなわち「救い」(2章)や「安息」(34章)のことである。「確信する」とは、勝手に信じ込むことではない。元々は<下で支える>という意味で、「保証」とも訳せる言葉である。つまり、「信仰とは、神の約束によって待ち望んでいる救いや安息の根底にあって、それらを保証するものである」と読み換えことができる。
 神の約束は将来実現することであるが、今はまだ見えていない。その「見えない事実を確認する」のが信仰であると言う。どのようにして確認するのか。この手紙のこれまでの論述によれば、福音(御言葉)を聞く事が神の約束である「安息」を確認することに結びつくのであり(4:1-2)、御自身の血を献げてくださった大祭司イエスこそ、私たちの「救い」の保証である(4:14)。言い換えれば、信仰とは、御言葉なるイエス・キリストによって、まだ見えない救いの事実を確認することなのである。
 このことを旧約聖書から学ぶことが出来る。創造物語によって、見えるこの世界が見えない神の言葉によって創造されたことを「信仰によって」私たちは悟ることが出来る。カインとアベルの献げ物には目に見える差はない。アベルは目に見えない「信仰によって」、正しい者とされた。エノクが死を経験することなく「天に移された」のも、その「信仰によって」であった。ノアは神の言葉を聞いたとき、洪水をまだ見ていないのに、「信仰によって」箱舟を造った。信仰の先人たちは、目に見えるしるしもなく、イエス・キリストも知らず、ただ神の言葉によって信じた。私たちは幸いにも、イエス・キリストを与えられている。もはや私たちは、「ひるんで滅びる者ではなく、信仰によって命を確保する者」(10:39)である。

米子伝道所主日礼拝説教 要 旨             2006年10月29 日 山本 清牧師 

 聖  書:ヘブライ人への手紙11:1−7
 説教題:「信仰とは」                   
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