イエスはこの人だけを群衆の中から連れ出し、指をその両耳に差し入れ、それから唾をつけてその舌に触れられた。そして天を仰いで深く息をつき、その人に向かって「エッファタ」と言われた。これは、「開け」という意味である。すると、たちまち耳が開き、舌のもつれが解け、はっきり話すことができるようになった。
                     (マルコによる福音書7:3335

 聖書に出て来る人物は、みな私たち自身のことである。ここに出て来る「耳が聞こえず舌の回らない人」も私自身のことである。
 かつて聾唖者は、侮辱され差別された孤独な存在で、その思いを語ることさえ出来なかった。しかし、この人には、その苦しみを察してくれる友人たちがいた。彼らがこの聾唖者をイエスのところに連れて来た。
 イエスはこの人を群衆の中から「連れ出された」。キリストはいつも、私たちと一対一になる仕方で出会われる。キリストは言葉だけで人を癒される例が多いが、この異邦人の聾唖者に対しては、異教の治癒師のように、「指をその両耳に差し入れ、それから唾をつけてその舌に触れられた」。キリストは、私たちが普段馴染んでいる仕方を用いて神の業を現される。そしてキリストは私たちの病むところ、苦しむところに触れてくださる。
 イエスは「天を仰いで深く息をつかれた」。イエスは、言葉にできない、人に語れない苦しみを、その人と共に、その人に代って嘆息されたのだ。キリストは私たちと一緒に呻いてくださる(ローマ8:22)。
 そして、神が天地創造の時に、「光あれ」と言われると光があったのと同様、キリストが「開け」と言われると、耳が開き、舌のもつれが解けた。彼は言葉を聞くことができ、話すことができるようになった。言葉と魂は双子である。言葉の回復は人間の回復である。私たちは、言葉を聞き、話すことができるが、苦しむ人の言葉や神の言葉を聞いているだろうか。人を励まし慰める言葉を語っているだろうか。しかし、主イエスが私たちのところに来られる時、言葉が回復され、魂の回復、神との交わり・人との交わりの回復、生きる喜びの回復が行われる。
 (10月8日 三瓶長寿先生による伝道礼拝説教より。文責:山本 清)

米子伝道所伝道礼拝説教 要 旨    2006年10月8日 鎌倉栄光教会 三瓶長寿牧師 

 聖  書:マルコによる福音書7:31−37
 説教題:「生きる喜びの回復」              
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