そのとき、ダビデの幕屋に王座が慈しみをもって立てられ、その上に、治める者が、まことをもって座す。彼は公平を求め、正義を速やかにもたらす。              (イザヤ書16:5)

 南王国ユダと死海をはさんで対岸に位置するモアブは、イスラエルの民と先祖ではつながっていたが、異教の民であり、モーセの時代以来、敵対関係にあった。イザヤ書15章では、そのモアブの滅亡が告げられるのであるが、「わが心は、モアブのために叫ぶ」(15:5)とも言われており、モアブの悲しみや歎きに対する深い共感がみられる。神もモアブが滅びることを決して望んでおられるのではないのである。
 モアブは異教国の代表である。私たちキリスト者は異教の民に囲まれているが、神はクリスチャンだけが救われればよいと考えておられるのではなく、異教の民が滅びに陥ることを悲しみ嘆いておられるのである。
 そこで神はモアブの民に対して、使者を立てて、シオンの山(エルサレム)へ行って、助けを求めるように命じられ(16:1-4)、それによって標記のように、救いがもたらされることを約束された。「ダビ゙デの幕屋」とは真の礼拝が行われる場所である。そこに神が慈しみをもって立てられる「王座」に座す「治める者」とは、地上の権力者ではなく、主イエス・キリストである。「公平」と「正義」とは、神との正しい関係のことである。モアブ(異教の民)のために、シオンの山(礼拝の場所)へ遣わされる使者の役割を果たすのが、現代では教会である。私たちキリスト者は、自分たちのためだけでなく、私たちを取り囲む異郷の民の救いのために、神に祈る役目を与えられているのである。滅びに向かうかに見えるこの世界が救われるのは、キリストを頭(かしら)とする教会の働き以外にはない。

米子伝道所主日礼拝説教 要 旨              2006年9月24日 山本 清牧師 

 聖  書:イザヤ書15:1−16:5
 説教題:「慈しみの王座」                   
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