しかし、わたしたちは、ひるんで滅びる者ではなく、信仰によって命を確保する者です。        (ヘブライ人への手紙1039

 初めのころの教会は、様々な迫害や虐待を受けたが(33-34節)、「苦しい大きな戦いによく耐えた」(32節)と記されている。どうして耐えることが出来たのか。ここで「戦い」と訳されている語は、「競技」とも訳せるように、迫害の苦しい戦いを、運動競技の苦しみのように、耐え忍ぶなら、目標である「大きな報い」が得られるとの確信を持っていたからである(35節)。ここで「報い」とは標記の「命(永遠の命)」と受け取れる。「忍耐」というのは<我慢>のことではなく、<一所にとどまっている>という意味を持つ。唯一の救い主であるイエス・キリストのもとにとどまり続けること、具体的には主の体である教会にとどまっていることである。
 37,38節はハバクク書2:3-4からの引用であるが、ここには三つのことが言われている。第一は、「来るべき方」すなわちキリストが「遅れられることはない」ということ、すなわち、再臨がまだ起こっていないが遅れているわけではないこと、第二は、「わたしの(認めた)正しい者は信仰によって生きる」、すなわち、罪ある者でありつつキリストの贖いのゆえに正しいと認められた者は、いかなる困難な中でも、信仰をもって生き抜くことができるということ、第三は、そのような神の赦しを受けながら、なお「ひるむようなことがあれば、その者はわたしの心に適わない」との厳しい言葉である。
 私たちは困難に遭遇して、ひるんでしまう者である。しかし、主イエスは決してひるむことなく、十字架に向かわれた方である。この主イエスの所に立ち帰るならば、標記の言葉のように、「わたしたちは、ひるんで滅びる者ではなく、信仰によって命(永遠の命=本当の生き方)を確保する者」なのである。
 

米子伝道所主日礼拝説教 要 旨             2006年7月30 日 山本 清牧師 

 聖  書:ヘブライ人への手紙10:32−39
 説教題:「ひるまない信仰」                   
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