「かたくなで、心と耳に割礼を受けていない人たち、あなたがたは、いつも聖霊に逆らっています。あなたがたの先祖が逆らったように、あなたがたもそうしているのです。」    (使徒言行録7:51

 かつてイスラエルの民は、荒れ野で、神の御命令のとおりに幕屋を作って礼拝していたが、その後、立派な神のすまいを欲しいと、神殿を建てた。しかし、「いと高き方(神)は人の手で造ったようなものにはお住みにならない」とステファノは言う(7:44-50)。これは形骸化した神殿礼拝に対する批判である。
 続いてステファノは、標記のように語る。ユダヤ人は律法に従って、体に割礼を受けていた。それは神の選びと祝福のしるしである。しかし、そのように律法を形式的に守っていても、律法に示されている神の選びと祝福の御言葉を心に受け止めていないなら、「心と耳に割礼を受けていない」ことになり、預言者を通して御言葉を語らせる聖霊にも逆らっていることになる、と言うのである。
 更にステファノは、ユダヤ人たちが、キリストの来臨を預言した預言者たちを迫害し、遂には、キリストその方を殺してしまったと語る(7:52)。神の言葉である律法を形式的にしか受け止められなくなっていた所に、神の御心を示す神の言葉そのものであるイエス・キリストが遣わされたのであるが、人々はそれを受け入れることが出来なかったのである。
 ステファノは人々の激しい怒りを受けて、結論まで語り終えることが出来なかったが、彼が結論的に言いたかったことは、キリストこそ律法に示された神の御心を真に成就したお方であり、キリストの体なる教会こそ、神が御言葉において御臨在なさる「神のすまい」である、ということだったのではなかろうか。

米子伝道所主日礼拝説教 要 旨              2006年7月23日 山本 清牧師 

 聖  書:使徒言行録7:44−53
 説教題:「神の住まい」               
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