「人々が『だれが、お前を指導者や裁判官にしたのか』と言って拒んだこのモーセを、神は柴の中に現れた天使の手を通して、指導者また解放者としてお遣わしになったのです。」   (使徒言行録7:35)

 ステファノはモーセのことを語りつつ、イエス・キリストのことを証しする。モーセは、ヨセフのことを知らないエジプト王が、イスラエルの民の増えるのを恐れて、乳飲み子を川に捨てさせた時に生まれて、パピルスの籠に入れてナイル川の葦の茂みに置かれた。このことは、イエス・キリストの誕生の時に、ヘロデ王が東方の占星学者によって新しい王の誕生を知って、二歳以下の男の子を皆殺しにするよう命じたことを思い起こさせる。乳飲み子モーセも、神の子イエスも、この世の権力者からは邪魔者扱いされ、殺されそうになったが、その中で拾い上げられ、逃れさせられて、後には人々を救い出すという使命を果たすことになった。
 四十歳になったモーセは、イスラエルの民を助けようと思い立って、同胞を虐待しているエジプト人を打ち殺した。次の日、同胞どうしが争っているところに来合わせて、仲直りをさせようとすると、仲間を痛めつけていた男は、モーセを突き飛ばして、『だれが、お前を我々の指導者や裁判官にしたのか』と言って、モーセを理解しなかった。こうしてモーセの気負いは挫かれた。
 しかし、それから四十年たったとき、シナイ山の荒れ野において、モーセは主の声を聞いた。それは『わたしは、エジプトにいるわたしの民の不幸を確かに見届け、また、その嘆きを聞いたので、彼らを救うために降って来た。さあ、今あなたをエジプトに遣わそう』というものであった。今度は神が主導でモーセを召し出されたのである。このことをステファノは標記のように語っている。ここにも、<イスラエルの民が十字架に架けて排斥したイエス・キリストを神は甦らせて救いの御業を成し遂げて下さった>とのメッセージが込められている。

米子伝道所主日礼拝説教 要 旨              2006年7月9日 山本 清牧師 

 聖  書:使徒言行録7:17−35
 説教題:「民の不幸を救うために」               
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