「ほうっておくがよい。あの計画や行動が人間から出たものなら、自滅するだろうし、神から出たものであれば、彼らを滅ぼすことはできない。」              (使徒言行録5:38−39より)

 大祭司をはじめとするサドカイ派の人々は、使徒たちがイエス・キリストの復活を証言していることに「いらだち」(4:2)、彼らが民衆の支持を受けていることで「恐れ」(4:21)、「ねたみ」(5:17)、ますます大胆に語り続けることで、「激しく怒り」(5:33)、ついに使徒たちを殺そうと考えた。
 ところが、ファリサイ派に属し、穏健な立場に立つガマリエルという人が立って、過去に起った2件の反乱事件では、やがて仲間たちが散り散りになって跡形もなくなったという例を挙げて、標記のような意見を述べた。これは、冷静な、中立的な意見であり、一見、信仰的な態度であるようにも見える。しかし彼は、消滅した反乱事件と使徒たちの活動を同じように考えている。「神から出たものであれば」と言っているが、その可能性が少しでもあるなら、今すぐそれを真剣に追求すべきである。このように、信仰の真理に対して傍観者のような立場をとる者は、決して真理に触れることが出来ない。
 結局、ユダヤの最高法院はガマリエルの意見に従い、使徒たちを鞭で打った後、釈放した。使徒たちは鞭で打たれたことを、「イエスの名のために辱めを受けるほどの者にされた」(5:41)として喜んだ。このような喜びは、ガマリエルのような優柔不断で第三者的な態度では決して得られない。私たちがキリストを信じることによって受ける恵みには、慰めや希望を与えられたり、苦しみから解放される喜びがあるが、同時に、キリストと同じような扱いを受けて、辱めや苦しみを共にするという喜びもあるのだ。
 使徒たちが、苦しみを受けてもなお、喜びをもって福音を語り続けることが出来たのは、神が彼らを召し、復活の証人として立て、聖霊を注いで遣わされたからである。彼らは「神から出たもの」であったのだ。

米子伝道所主日礼拝説教 要 旨               2006年5月21日 山本 清牧師 

 聖  書:使徒言行録5:33−42
 説教題:「神から出たもの」                   
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