「行って神殿の境内に立ち、この命の言葉を残らず民衆に告げなさい」                    (使徒言行録5:20)

 初代教会が「民衆」に対して行なったことは、「多くのしるしと不思議な業」(5:12)と、標記のように「命の言葉」を告げることであった。
 前者は、病人を抱えて苦しんでいる民衆(5:15-16)の切なる願いに応えることであり、教会がこの世の現実の問題に丁寧に対処することで、民衆の称賛を得ていた(5:13)。現代の教会は、使徒たちのように、病気を癒す奇跡の業を行なえないにしても、人々の悩みや苦しみを真剣に受け止めて、丁寧に対応するのでなければ、教会が人々から尊敬を受けることも、伝道が進展することもないのではないか。
 一方、後者の「命の言葉」を告げることは、しっかりと鍵がかかり、番兵も立っていた牢から、主の天使が使徒たちを連れ出して命じたことである。つまり、大祭司たちがねたみに燃えて、使徒たちが語ることを止めさせようとしたにもかかわらず、神が語り続けるようにさせておられるのである。彼らが語るキリストの出来事は、罪のために死すべき民衆に「命」を与え、悩み苦しみの中にある人々を本当の意味で生かすのである。主の天使は「神殿の境内に立ち」と、語る場所を指定している。神殿は多くの民衆が集まるので、宣教に好都合だということもあろうが、それよりも、神殿は使徒たちが毎日集まって祈りをしていた場所であり(2:46)、初代教会の礼拝場所でもあったからである。教会がなすべきことは、教会の礼拝において、「命の言葉」を語り、民衆が悩み苦しんでいる現実の問題に、一緒に取り組むことである。主はそのために、固い鍵をはずし、重い戸を開いて下さるのである。 

米子伝道所主日礼拝説教 要 旨               2006年5月7日 山本 清牧師 

 聖  書:使徒言行録5:12−26
 説教題:「民衆への働き」                   
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